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ヤチムン

執筆者:

写真:垂見健吾

沖縄では、焼物のことを方言でヤチムンと言う。そして、窯で作品が焼かれることを「生まれる」と先人たちは伝えて来た。窯焼きの火入れの時、火の神に手を合わせ、「生まらしみそーれ」と祈りの言葉を唱える。作品が無事に生まれるように、神への一念の想いをたくした言葉なのだ。この二つのウチナー言葉のもつひびきは、私の心の奥底までしみわたり、沖縄でのヤチムン作りを始めて25年間、心のささえとなった。

沖縄には、独特の文化風土があり、日本の中では異質な世界が存在していた。その中で25年前、私を迎えてくれた壷屋は、空気の如く自然体で、私を素直に引き入れてくれた。あたたかで、おおらかな空気。ふりかえれば壷屋の人々のやさしさが今日の焼物を作っており、その器の中に生かされている。ヤチムンは工芸の中でも、一番身近でふれあえるものであり、昨今の陶芸ブームもうなずける。

陶芸ブームとともに「あわもり」(島酒)ブームでもある。この酒を知らずしてヤチムンを語ることは出来ないぐらい、酒に必要な器がヤチムンから生まれて来た。酒壷、酒甕はもちろんだが、カラカラ、ダチビン、嘉瓶ゆしびん、鬼の腕……などウチナー独特の形である。「あわもり」は、やちむんの里の近く、読谷よみたんの長浜港に東南アジア、タイから織物やラオロン酒(あわもり)とともに持ち込まれたようである。

写真:垂見健吾

読谷村喜名にある古窯も、そのころ始められ、作られていたようだ。その地に今、新たにヤチムンの火が灯され、現在、四十軒近い窯元が、火をたいている。

沖縄は、お祭りが大好きなところで、年中、あちこちで祭りが行なわれ、陶器まつりも大変盛んである。ただその中で、まつり作家やみやげ陶工が登場して、本来のヤチムンの姿が変わってゆくようにも思える。

もの作りは、人とのかかわりの中で生まれて来た。

私自身も、食器作り、酒甕作りとは別に、ロックやジャズのアーティストに陶笛や陶太鼓、陶製のパーカッションなどの製作を頼まれたり、自ら作って使ってもらったり、新しい出会いが新しい響きとなって、人の心の中に伝わってゆく。ライブコンサートで、ひとり、ひそかにその音色を聞いて楽しんでいる。

ヤチムンには、人の手を越えて、魂の息吹を感じさせるものがある。今、沖縄のヤチムンは、どれだけ人の心の中に花を咲かせられるだろうか。

沖縄では、今でも共同窯が焼かれている。壷屋時代には、各窯元が持込んだ作品をのぼり窯の各ふくろに詰め、窯元同志が交替で一つの窯を焼く。沖縄での「ゆいまーる」の精神である。

ヤチムンと切り離せないのが料理である。ウチナーのチャンプルー(炒め物)料理は、多くの支持者をもっている。ヤチムンも中国、朝鮮、東南アジア、日本などの影響を受け、チャンプルーされウチナービケーン(沖縄だけの)が生まれてきた。チャンプルー文化は、今後も沖縄のヤチムンを育ててゆくだろう。

ウチナーのヤチムンは、そして私のヤチムンは、自らの手から作られるのではなく、祈りの中で生まれてくる。「生まらしみそーれ」。