内容をスキップ

社大党しゃだいとう

執筆者:

写真:嘉納辰彦

沖縄社会大衆党がフルネームで、戦前の社会大衆党とはまったくの別政党。現在、国会議員の議席は衆参合わせて713人だが、その713分の1を沖縄社大党が堂々と占めている。沖縄びけーん(沖縄限定)の党組織であり、このような一県単位の党が国会議員を有しているのは希である。自民党、立憲民主党、公明党、共産党、社民党、そのほか多くの政党があるが、国会に議席を占めているという点では、全国的に見ても十本指に数えられる政党ということになろうか。

1950年、ヒューマニズムを基調に結党された。沖縄の戦後における米軍政下での政党政治は、この社大党を背骨にする形で枝分かれしながら展開された。沖縄の政党人の多くがなんらかの関わりを持ち、かつ影響を受けている。この党を基軸に集散離合がなされた経緯もあり、沖縄政治家養成学校の一面も持っている。それゆえに十年単位で行われる「社大党結党〇〇周年パーティー」には、県内の保革政治家が一堂に会する機会を自然的に設定する。

結党以降、「本土復帰」を指向する政党として存在したこともあって、「復帰」に際しては解党か本土系列化するかで揺れたが、土着政党の道を選択して今日にいたっている。「復帰」はすべての価値観をひっくり返すほどの激変であったが、社大党はあえて独自の路線を歩むことを選択した。その当時の社大党指導者である平良幸市(元県知事)は土着政党としての党存続を主張し、のちにはミスター土着と称されるようになった。

「本土並み返還」をスローガンにしていた政党や労働組合は「復帰」前からすでに本土系列化し、いち早く「本土並み」を達成していたが、「復帰」しても本土系列化しない沖縄の三大組織があった。断然地元のビールが美味しいとばかりにオリオンビール、山口組のように広域化した暴力団にくみしなかった旭琉会、それに土着政党の社大党であった。

土着というと、ややもすると時代遅れ、ややもすると過去形というように評価がなされがちであるが、どっこい、現在でも沖縄県内の政局では重要な役割を果たしている。革新の旗印は一貫していて、県内の社会民主党や共産党などの勢力との接着剤としての役割も大きい。

年配に支持者層が多いと言われているが、若い世代からも意外な支持があったりもする。党費を納めれば党大会の代議員になれるという風聞もあるが、そうなると150、60人が示し合わせて参加すれば党を乗っ取ることが可能だが、実際に実行に移した者はいないようである。党規約のなかに、「(党員は)公職の選挙において党の推す候補者を支持すること」とあり、当然と言えば当然のことを謳っていたりして面白い。沖縄的といえばいかにも沖縄的な、アバウトな党運営のようでもあり、伝統を踏まえて新しい党運営をというかけ声は常にあるが、なかなか実現しない体質は逆に沖縄では社大党的ということで済まされている面もある。政党嫌いの層からは、あまり嫌われないという不思議な性格を有する党でもある。