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復帰

執筆者: ,

写真:嘉納辰彦

1972年5月15日に、沖縄が30年近い米軍統治から解放され、日本国に沖縄県としてしたことを指す。復帰前、復帰後などきわめて日常的に使われる。(斎藤潤)

太平洋戦争で敗戦国になった日本は、対日講和条約で琉球諸島にたいする施政権を放棄し、日米安保条約を締結することで「独立」を達成した。米軍の直接統治下におかれた沖縄では基地建設のための土地の武力接収や人権抑圧がつづく状態にあったため、熱烈な「日本復帰」運動が展開されたが、やがて日米両国の国家目的に添って1972年5月15日に施政権は日本国に返還される。これを沖縄の日本復帰と呼ぶが、単に「施政権返還」または「沖縄返還」ともいわれる。

あるいは1879年に日本国が武力を背景に琉球国を併合した「琉球処分」という歴史事実を踏まえて、この時の復帰を「再併合」と規定する見方もある。「琉球処分」以前の琉球国は独自の国家形態をそなえた独立王国であったわけだから、1972年の復帰は、90年余の間をおいてなされた「再併合」とする見解こそが歴史解釈のうえでは正確な規定であるとも言えよう。

沖縄の復帰運動は、米軍による過酷な軍事支配から脱却する方途として、「平和憲法」を国是とした新生日本国への限りない憧れを土台にして日本帰属を求めたものだった。しかし、復帰後の沖縄には在日米軍基地の大半を集中的に固定化することで日本本土の安全と平和と繁栄を担保する防波堤としての機能を負わせる一方、全国平均70%台の県民所得と高失業率から抜け出せない経済構造がつくり出されて、復帰による「本土並み」幻想は見事に崩れ去った。

こうして「国内植民地」としての扱いを受ける沖縄と日本との関係は大戦前も復帰後も変りはない。敗戦直後の沖縄で政治的主張の主流になったのは独立論であった。独立論や自立論は、復帰以前にも以後にも折りにふれて表面化する。その内容は、時代状況によって異なるが沖縄戦後史上の特徴的な思潮である。熱狂的な復帰運動に象徴される日本帰属意識の強さがある反面、日本国にたいする違和感も根強く存在していることの証左であり、沖縄人の意識はアンビバレントの状態で揺れているのである。

さて、復帰運動の高揚期に「沖縄を返せ」という歌がさかんに歌われた。日本国への復帰を熱望して熱唱されたものだ。近年その歌が民謡歌手の大工哲弘によって再び歌い出されて共感をよんでいる。再び歌われ出したこの歌は、かつての思いとは逆に「復帰」=「再併合」によって失われた沖縄を、沖縄と沖縄人に返せ、という思いをこめて歌われるのである。復帰という言葉も、沖縄人が沖縄人の沖縄へ復帰するという意味で使われる時が、いつの日か来るかもしれない。その時こそ、この言葉は本来の意味を取り戻すことになる。(新川明)