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雨乞いあまご 

執筆者:

石垣島豊年祭の雨乞いの旗頭
写真:垂見健吾

沖縄で、どんなに科学が発達しても、人間の力ではどうしようもできないと言われている自然現象が2つある。一つは台風で、もう一つが干ばつである。
 私たちの戦後50年余の経験でも、台風と干ばつにはさんざん苦しめられてきた。特に、日本復帰前の上水道設備が完備されてない頃、生活用水はムラガー(村の共同井戸)の湧水に頼っていたから、干ばつになると大変であった。
 あれは、1960何年ごろだったか。長期大干ばつに見舞われて、とうとう鹿児島航路の客船で屋久島あたりから水を運び配給していたのは。
 そこで米軍政府もチャンス到来とばかりメーナイナイ(目立とうと)して、空軍を中心にして人工降雨作戦を展開した。なんと、嘉手納かでな基地を飛び立った戦闘機から雲の中にヨウ化銀(AgI)の粉をばらまいたのだ。
 しかし、雨は降らなかった。世界一の科学力と軍事力を誇っていた米軍でさえ、人工的には雨一滴すら降らすことができなかったのだ。おかげで、米軍の権威が失墜したのは言うまでもない。
 したがって、琉球弧の人々は今でも雨が降らないときは「雨乞い」をして神様に頼るしかないと信じている。あるいは、不思議と渇水対策協議会などが「断水宣言」をすると雨が降るとも言われている。

首里城近くの雨乞御嶽。昔、干魃の時に王が雨乞いの祈りを捧げた
写真:嘉納辰彦

雨乞いのやりかたは、島々里々によって異なるが、共通している要素もある。村の神女や神役と役員の人々が御嶽うたきへ行き、水をたっぷり入れた瓶をナー(庭)の真ん中に置き、円陣を描きながら「雨乞い謡」を歌い踊り、祈りをささげるのである。その時、神女や神役の人々が瓶の水にマーニ(クロツグ)の葉などを浸し、空にばらまきながら雨を乞うのである。

雨乞い謡に共通しているのは
  雨ほしやに
  水ほしやに
  雨おろちへたまふれ
  いぶおろちへたまふれ
 というリフレインである。

今年(1998年)もまた、宮古島や石垣島を中心に雨乞い謡の響く夏が続いていた。新聞によると宮古島では雨乞いのクイチャーも踊られたそうだ。