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国際通り

執筆者:

写真:垂見健吾

那覇の国際通りは、東南アジアとアメリカがぶっつかった独特なにおいのする街である。1965年に、初めて国際通りを歩いた時の一瞬クラクラした戸惑いを、今でもはっきりと思いだす。僕が初めてパスポートを持ち、鹿児島から那覇に船でわたった時は、まだ20歳の時であった。カントリーバンドの仲間とエキゾチックな通りを観光気分で歩いていた。その時はアメリカの占領区であったため、ドルやセントでお金をはらい、めずらしかったリーバイスのジーンズやパーカーの万年筆をおみやげに買った。通りにはジャズやカントリー音楽のライブハウスが何軒かあり、初めてステーキというものを口にした。

その後児童出版社の営業部にいたため、那覇を何回となくおとずれた。どこの書店に行っても児童書は飛ぶように売れた。夜は国際通りで泡盛を飲んでは酔いつぶれていた。犯罪者や逃亡者が身をかくす場所としては最適な街に、酔った眼にはうつった。夏の夜など深夜まで通りはにぎわっていた。

昔はこの国際通りは大湿地帯で田畑や墓地が続く寂しい場所であったといわれるが、沖縄住民のバイタリティにあらためておどろく。伝統文化と異国の文化が渾然と溶け合った通りが、今後どのように変化していくか興味ぶかい。僕としては、より東南アジアの街のようにおもちゃ箱をひっくりかえしたような街になっていってほしい。