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山原やんばる

執筆者:

写真:垂見健吾

ヤンバルと発音する。ヤンバルクイナの、あのヤンバルである。沖縄本島の北部、常緑樹林の丘陵がつづく一帯をさすのだが、どこからが山原というひなびた呼び名に該当する場所なのかは、時代によって変化があるようだ。

現在はなんとなく名護市よりもさらに北部一帯というイメージである。しかしほんらいは国頭くにがみ郡より北を山原と呼んだ。国頭郡は読谷よみたん村のすぐ先からはじまり、那覇から車で1時間ちょっとで行ける。とても山原という雰囲気ではない。つまり山原の境界線はどんどん北上していったのだろう。

琉歌りゅうかの代表歌人とされる恩納うんななべは18世紀前半のひとだが、その歌に「山原の習ひや差枕さしまくらないらぬ云々」というのがある。「山原の風習には、首里しゅりのような差枕はありません――。」つまり恩納おんな村のナベさんという女性は、自分は山原に住んでいると思っていたのだ。恩納村には、いまはリゾート・ホテルがどかどか建っていて、山原どころじゃない。

やはり名護市より北、イタジイやタブなどが密生する丘陵地帯を山原というほうがいいような感じがする。現在この地帯では、ダムの建設などで照葉樹林帯の自然が激変をこうむっているが、はたしてどうなることか。

私はイタジイ林がえんえんと続く眺めが好きで、時折のぞきに行く。38年ほど前、大宜味おおぎみ村の山の中で独居している変り者を訪ねたことがあった。電気と水だけはあったが、隣家までどれぐらい離れているのか、複雑な山襞と森林にさえぎられて見当がつかない。

昼食に鳥肉の揚げたのが出た。恐縮しながらいただいてみると、ヤケにかたくて、しかし味は濃い。すっかり食べ終ると、相手は一言、「クイナだ」といった。それがヤンバルクイナだったのかどうか、わざと訊かないで帰ってきた。