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種子取祭たねとりさい

執筆者:

写真:垂見健吾

種子取は稲の種を蒔く前に保存してあるところから取ってくる農耕行事で、奄美諸島から八重山まで各地にあるが、祭事として規模が大きくて有名なのはやはり竹富島の種子取祭である。

竹富島の種子取祭(たなどぅい)は旧暦の9月か10月の甲申きのえさるの日から始まる。しかしその50日前に行われる土祭という農地清めの儀式を始まりと考えることもできる。祭の初日は芸能の配役などが決められ、その翌日から島の人々はそれぞれに出演する狂言(キョンギン)や踊りの練習に励む。本格的な祭事は7日目と8日目ならびにその間の夜に行われる。
 7日目の朝早く、長老たちによって「弥勒みるく起こし」の儀式が行われ、続いて世持御嶽よもちオンの舞台の上でのカンタイの儀式、集落の責任者の家をおとなう参詣などが続いた後、午前10時ごろから世持御嶽の庭で「巻き歌」が歌われ、それに続いて「庭の芸能」の奉納が始まる。八番ほどからなる「庭の芸能」の後、特設の舞台の上で「舞台の芸能」が終日行われる。この日の芸能の主たる担い手は玻座間はざま村の住民である。
 基本的には種まきを機に豊作を神々に願う行事だが、そのために神に奉納される芸能の数と種類と完成度がすごい。人はこれほどのエネルギーを祭事に投入してきたのかと、まずその点に感動する。人口わずか200数十人の島が、島外からの応援もあるとはいえ、2日にわたって無慮数十番の芸能を、それも相当に高度に、演ずるのだ。その内容は狂言と呼ばれる芝居の類と踊りに大別される。狂言は農事の起源を扱うものから、歌舞伎を手本に沖縄本島で発達した組踊くみおどりまでさまざま。踊りの方もこれまた無数にある。
 1日目の芸能が終わると、神前でのイバン(九年母の葉)カミの儀式を経て、人々は夜を徹して村の家々を一軒ずつ回るユークイ(世乞い、幸福祈願)を始める。訪れた先の家ではタコとニンニクの和え物と泡盛が振舞われる。2日目の芸能はほぼ似たような展開だが、この日はもっぱら仲筋なかすじ村の人々が行う。

この2日1夜をぶっとおしで拝見するとなかなか疲れる。しかしそれは神々の喜びのお相伴に与ったという実に心地のよい疲れであり、これだけの精力を祭に注ぎ込むことによって共同体は維持され繁栄してきたという事実を嫌でも納得させられる疲れである。沖縄でも各地の祭事は次第に衰退しているようだが、竹富島はまだまだ元気で、他の地に興って今は廃れた芸能がここに残っているという例も少なくない。

祭はあくまでその土地の人々のもの、外から行く者は控えめに、見せていただくという気持ちで臨んでほしい。