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門中もんちゅう

執筆者:

沖縄県最大の門中墓
写真:嘉納辰彦

人びとの会話にしょっちゅう出てくるのに、知らなければまったく想像のつかないことばが沖縄にはたくさんある。その代表ともいえるのがこの「もんちゅう」だ。はじめてこのことばを聞いたのは、沖縄の民俗学者のインタビューの席だった。いまにして思えばなんと不運なことかと思うが、「もんちゅうの研究をしておるのです」と先生がおっしゃったとき、わたしの頭に浮かんだのはちいさなシーサーが乗っている門柱だった。しかし話が進むうちにだんだんちぐはぐになってきて、おかしいと気付いた先生がこちらのメモをのぞき込んで言った。

「柱ではなくて、門の中と書くのですよ」

おたくの家紋は何ですかと本土の人に聞かれて、ボクサーの具志堅用高は家門のことだと思い、「ブロックです」と答えたそうだが、彼のことを笑えないのである。

門中とは同じ先祖をもつ父系の血縁集団のこと。要するに枝葉のように分かれた父親方の血縁をひとまとめにしたものが門中である。17世紀ころに士族階級から発達し、名家の場合ははるかその時代まで先祖をたどれるという。そのための手引き書も出版されている。

門中のもっとも大きな役割は先祖の供養。門中墓という先祖代々の門中メンバーが眠っている大きな墓があり、供養のためにたびたび門中が招集される。たとえば春のシーミーでは親戚家族間のちいさなシーミーに先だって、門中墓の前で門中シーミーが行われ、遠路はるばる直系の血族が集まる。大きな門中の場合は新聞広告を出して知らせるほど。数が100人ほどになるのでとても電話連絡では間に合わない。

大きな門中になると、同じ門中同士でも、顔と名前が一致しないことが多く、飲み屋で知らない客が話すうちに、なんだ、同じ墓に入る仲じゃないか!となることがある。ときにはそれで立場が逆転し、さっきまでえらそうにしていた男が急に相手に気をつかいだすこともあると聞く。門中では社会的立場より年齢が重んじられるからだ。

代々、生まれも育ちも東京のわたしには門中の感覚がどうしてもつかめない。親戚が顔を合わせるのはだれかが亡くなったときぐらいで、父方の叔父や叔母の中には同じ東京に住んでいながらもう10年近く会っていない人がいる。祖父の上の代くらいで先祖のラインはとぎれており、墓がどこにあるかも知らない。沖縄の人からすれば信じられない事態だろう。