内容をスキップ

サンゴ礁

執筆者:

写真:垂見健吾

レイチェル・カーソンは海辺を、(1)岩がごつごつした岩礁海岸、(2)砂浜、(3)サンゴ礁とそれらの特徴をあわせもった海岸の3つに分類した。(『海辺・生命のふるさと』平河出版社)
 さて、琉球列島の海や海辺は、この3つのどっちに属するだろうか。沖縄本島や宮古、八重山をはじめ各島嶼をかけめぐって感知したことだが、沖縄の海はカーソンが分類した3つの形態をあわせもっているということである。南北大東島(南大東島、北大東島)は、砂浜が全くなく、サンゴ礁すら見られない岩礁海岸の島で、コンクリート建築に必要な砂も沖縄本島から運んでいる状態である。その他の島は、渡名喜となきじま粟国島あぐにじま、沖縄本島北部のように部分的には岩礁海岸も見られるが、どの海辺にも砂浜がひろがり、その先のイノーと呼ぶ礁池にはサンゴ礁が展開し、そのイノーを囲むように環礁が島々を外洋の波から守っている。つまり、砂浜もサンゴ礁が長い年月をかけてつくりあげたものだから、琉球列島のほとんどの海辺は、サンゴ礁の海辺であるといってよい。

写真:垂見健吾

このサンゴ礁とは「造礁サンゴが中心となり、たくさんの生物が協力してつくりあげた、自然の壮大な建築物である」(鈴木克美『黒潮に生きるもの』東書選書63)というとおり、サンゴ礁を形成する「たくさんの生物」の個体群としては、ミドリイシ、ウスコモンサンゴ、テーブルサンゴなど数も多いが、これを論ずるのは海洋学の専門書の分野として、ここでは、サンゴ礁の海と琉球列島の人びとの生活、その心象風景、自然景観との関係について触れることにしよう。
 沖縄本島やその周辺離島の小高い丘に立って海を眺望すると、2つの白い帯が陸地を囲むように展開するのが見られる。1つは黒渡くるとと呼んで怖れられた外洋の波が白く砕け散る帯で、この帯は人びとが干瀬ひしと呼んだ環礁がつくりあげたものである。もう1つの白い帯は、環礁によって砕かれた波が波打ち際に運んだサンゴ礁の遺骸としての白砂がつくった帯である。
 古来、沖縄の人びとは「海を歩く」といったが、その海とは、この2つの白い帯の間にひろがるイノーのことであり、潮の干満、季節によって湧くように獲れる魚介類は、狭小な陸地の産物を補完して余りあるものがあった。まさにイノーはサンゴ礁がつくりあげた畑であり、冷蔵庫であり、ニライ・カナイを遥拝する文化空間であった。人びとは渡地わたんじというイノーから干瀬ひしに通ずる海中の道を往来し、豊かな海の恩恵にあずかった。魚族もまたサンゴ礁がつくったイノーと外洋の間のワリ(割り)という道を潮の干満に合わせて行き来し育った。

サンゴ礁とは、まさに環海性の島嶼群としての琉球列島とその風土をつくりあげた創造の大主であるといわなければならないが、それがいまや埋立や公共事業で危機に直面しており、憂慮される。