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公設市場

執筆者:

写真:垂見健吾

那覇公設市場という名称は正式にはない。国際通りの南側、市場本通り、むつみ橋通り、平和通りの3本の通りから市場地帯がはじまり、ほぼ700メートル南の開南本通りにぶつかるあたりまでつづく。その中心に、これは正式名称の第一牧志まきし公設市場という建物があり、肉屋、魚屋、乾物・漬物屋などがここに集中している。しかし市場全域はひろく、野菜、くだもの、茶、衣料、雑貨、惣菜などの店が、露店、バラック、雑居ビルとその店構えは千差万別ながら、複雑に入りくんでちょっとした迷路をつくっている。

那覇の人びとは、この市場一帯をたんに市場(マチグヮー)と呼んでいる。単純明快でありながら、指示する中身は茫漠としているあたり、いかにも沖縄風というべきか。とにかく、その市場一帯を、ここでは便宜的に那覇公設市場といっておくことにする。

第一牧志公設市場に入る。肉と魚の売り場には衝撃が待っている。肉売り場には、豚1頭がきれいに解体されてそこに山積みされている。面皮、内臓、足の先、すべての部位がそろっている。赤肉、三枚肉、骨つきあばら肉などが大ぶりの塊りでころがっている。牛肉もそうだが、チマチマと薄く切りそろえて並んでいるほうが少なく、肉の塊りが目を奪う。肉食の国に来たという感じだ。

魚売り場では、南国の海の魚の極彩色に目を奪われる。魚がお祭りをやっているような強烈な原色が重なりあっていて、その色から味を想像するのは観光客には難しいだろう。

肉屋約30店、魚屋約80店(1992年当時)2。それでも、二巡三巡するうちに最初のショックから立ち直り、少しずつ目が馴れてくる。目が馴れてくるにつれて、ひとつの疑問がわいてくる。これらの店の仕切りはどこにあるのか。どこまでが1軒の店なのか。

建物内の1店分のスペースをここでは1コマといっているが、それが幅3尺(90・9センチ)ときわめて狭い。面積にすると2・2平方メートル。それが1店分の原型である。2店分3店分をもって自分の1軒をかまえている所もあるけれど、そんなに多くはない。そういう狭いスペースに、オバァ、アンマァ、ネーネーなどさまざまな年齢の女性たちが陣どっている。台やケースに並んでいるのは一見してほとんど同じものだから、いよいよその仕切りがわからなくなってしまう。

同じ商品を扱う狭い店がずらっと1カ所に並んでいるのは、肉屋魚屋だけでなく、この市場全体の特徴だ。そして、隣同士で品物がなくなったりすると貸し借りをするのだという。隣りと同じような物を売っているのだから、いたずらに競って売ろうとしてもしかたがないということがあるかもしれないが、店に立つ女性たちが威勢のいい掛け声をあげることはほとんどなく、静かにお客を待っている。まるで一つの運命を迎えるようにお客を迎えるのだ。

売り手が競わずに、黙々と助けあう。そういう市場は、ちょうど巨大な共同体のように機能しているのだろう。そう納得したとしても、衣料品を扱う一角に足を踏みいれると、やっぱりわからなくなってしまう。

中年女性向けのアッパッパアのようなものが店内いっぱいにぶら下がった店が、行けども行けどもつづく。この店とあの店の区別がつかないのだから、そこはもうホンモノの迷路といっていい。そしていつ行っても申しあわせたように客がほとんどいない。共倒れにならないのが不思議な気がするのだが、店番のアンマァにおそるおそる訊ねてみても、ニヤリと笑うばかりで答えてくれない。

この市場のもう一つの特徴は、匂いだ。肉売り場には肉の匂いが、魚売り場には魚の匂いがたちこめているのは、べつに怪しむに足りないとしても、ここではそれが剥き出しで強烈だ。肉や魚を不必要にガラス・ケースでおおったりしないからだ。食べものの本質を上品げに隠蔽したりしない。

食べものがそれぞれあたり前の顔で、静かに強く自己主張している。ささがきゴボウの匂いが薬草ウッチンの匂いと交り、さらにサーターアンダギーの甘い匂いがそれに溶けあう。そこで匂いは一種得体の知れないものになるが、それが奇妙に懐しいような感覚を喚び覚ます。これが人間の日常生活の、少し猥雑で少し哀しげな匂いだったことに私たちは気づく。

人びとの生活を構成するあらゆる「物」が、おだやかな無秩序のなかで投げ出されている。こういう市場は、日本のなかではもうここしかない。だから一日さまよっても飽きない。そして飽きないけれど、迷路をさまようようなものだから、疲れる。

疲れたら、第一公設市場の2階にある食堂へ行くのがいい。市場で働く人びとと買い物にくる人びとが出入りする数軒の食堂は、たいていの沖縄惣菜料理がそろっていて、安くてうまい。

那覇のこの市場は、戦後間もない昭和22年頃、自然発生的にはじまった。焼けて丸裸になった那覇の、もっとも条件の悪いこの土地にいつのまにか行き場のない人びとが集まり、物々交換をやり、闇市のようなものが立つようになった。いまもそばを流れるガーブ川がその痕跡をわずかにとどめているが、雨が降ると泥沼みたいになる湿地帯が、那覇でいちばん賑やかな闇市になった。そしてアメーバーのように増殖していった闇市はやがて公設市場に生れかわっていった。

市場をつくりあげ、支えたのは、不撓不屈の女性たちだった。沖縄の女性たちは一般にじつによく働くが、とりわけ市場の女性たちは働くことをいとわない。肉体労働でも男たちは顔色なし。あるとき、市場の組合の幹部(男性)に、「男どもは何をしてたのですか?」と訊いたら、「私らは、縁の下で支えてきたのですよ」と居住いを正していった。事務所の一角で昼弁当をつかっていた4、5人のオバサンが、それを聞いていっせいに笑い声をあげた。まことにたくましい、哄笑というべき笑いだった。2

【編集部注】

  1. 2022年10月現在、肉屋12店、魚屋16店。乾物等食品店41店。
  2. 老朽化による再整備事業で仮設市場で営業していたが、新市場が2023年3月に開場した。