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あい

執筆者:

藍建て
写真:垂見健吾

人里離れたやんばるの山奥(名護市源河げんか大湿帯オーシッタイ)で暮らしはじめて、やがて20年(1998年執筆時)になります。水の豊かな緑深いこの山の暮らしの中で、私は「ほんとうの豊かさ」の証しとして次世代に継承すべき「かけがえのないもの」の一つに出会いました。
それは、琉球藍です。

沖縄には三種の藍草が生えています。その一つは四国徳島のものと同じ蓼科の藍で、宮古上布等に使われています。また一つは木藍きあいと呼ばれる豆科のもので、竹富島で使われています。そして私の出会った琉球藍(きつねのまご科)です。世界でもっとも美しいといわれる琉球絣の藍色や紅型びんがたの青系統は全てこの琉球藍に頼っていました。今日でも宮古上布、八重山上布、沖縄本島や離島の多くの織物と染物に活用され、沖縄の伝統的染織には欠かすことができません。インディゴの含有量の高さは世界的に評価されており、ひときわ濃い色と透明感は他の藍草では得られないものです。藍の濃度が高くなればなるほど赤みを帯び、紫色の光を放つのも特徴の一つです。また、色止めの際に、化学物質ではなく酢を用いて天然のままに定着させることができるというのも、琉球藍の魅力の一つです。まさに天然染料の中でも最高峰のものと言っても過言ではありません。

琉球藍草は、水が豊かで緑の深い所、平坦な畑地よりも、半日陰になるような湿地帯や山間地を好みます。亜熱帯気候で湿度の高い沖縄、とりわけ樹木の多いやんばる(沖縄本島北部)は、生育の最適地で良質の藍(泥藍)が産出されます。沖縄における琉球藍の供給の90%以上を担ってきました。
 琉球藍草栽培から泥藍(染料)づくり、藍建て、染めにいたるまでの工程に、やんばるの豊かな自然と優れた人の技がみごとに融合し、暮らしの中で脈々と生き続けて来ました。
 昔(戦前まで)は、ごく普通に屋敷や畑の回りの木陰などに藍草を植え、自ら製造し、染めてもいました。また、産業としても栄え、泥藍はやんばるの特産物として黒糖につぐ換金作物になり、輸出していた時代もあった位です。
 戦後、化学染料の普及や、泥藍製造の大規模化やいろいろな要因が重なり、やんばる各地の、暮らしの中に息づいていた藍づくりの姿は消えていきました。と同時に、泥藍づくりの、伝統的な技の継承も消えていったのです。

現在では、泥藍づくりを継承する人はごく僅か(本島北部の本部もとぶ、名護)になっています。また、やんばるの豊かな自然も、地域振興の名の下に、破壊の危機に直面しています。
「本物」は、今ではいわゆるへき地と呼ばれている所や、開発から取り残された所にしか残っていませんが、地域振興とひきかえの安易な乱開発は決して行うべきではありません。生まれ育ったやんばるの豊かな自然と本物の琉球藍を次世代へ引き継いでいくことが私の使命と考えています。