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識名園

執筆者:

写真:垂見健吾

シチナヌウドゥンと親しまれた識名園は、去る沖縄戦であとかたもなく灰燼に帰した。1975年からおよそ20年の歳月をかけて復元され、現在、再び国指定特別名勝となり、諸外国をはじめ、多くの人に琉球文化の秀麗なる佇まいを偲ばせている。

識名園は首里城の南約2キロの高台に位置し、首里崎山町の御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)の「東苑(とうえん)」に対比して「南苑(なんえん)」と呼ばれる琉球王朝の別邸であった。

その建造は不明であったが、1800年に尚温王冊封のための正使趙文楷(ちょうぶんかい)、副使李鼎元(りていげん)の接待の記録から18世紀の終り頃といわれている。

育徳泉の豊かな湧水を水源に、2つの中島をたたえる識名園の池の、その石橋や六角亭は異国情趣をかきたてる。池の浚渫の工法も周辺の水系、地質系に逆らわず、今風にいえば、エコロジカルな自然体での所産とみられる。即ち、人為的に強行して多大の労力を集結させる手法とは異なり、水は流れるままに、岩や土はみずから落ちつくように設計されたといえる。

琉球建築の美しさは常緑の深き樹林を背景に据えて、一段と映える。この男性的なホリゾントにかつて池の畔(ほとり)は、春に梅、夏に藤、秋に桔梗と、四季おりおりの色どりと、香気を楽しめた。

池に舟を浮かべては悠久の時節の移ろいに身を委せることを古語に「流(なが)り舟(ぶに)」という。

御殿屋舎の大小の屋根、平面的雁行の変位で織りなす赤瓦の光と陰の奏でる色彩的な位相。朝夕のしじまに垣間見える池の水面の多彩な変調。外界の喧騒とは一線を画した、静謐(せいひつ)なる時空の流れが妙趣をそそる。

建築・庭園のこの妙なる交響楽は、京都桂離宮や修学院離宮に伍しての名勝でありながら、日本各地の「回遊式庭園」とは趣の異なるところに、識名園の秀麗な諧調が読みとれる。

ちなみに敷地指定面積は41、997平方メートル(約12、726坪)で、御殿525平方メートル(約159坪)を中心に建物総面積は643平方メートル(約195坪)となっている。

首里崎山町の「東苑」御茶屋御殿の再建も近く計画される動きがあり、グスク建築と対比して、識名園は典雅なる琉球建築の粋として自然になじみつつ、愈々、その美しい佇まいを誇示しつつある。