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りんけんバンド

執筆者:

写真:垂見健吾

1990年、りんけんバンドのカセット『ありがとう』(マルテル)がCD化され本土で発売された。このCDが、その後の沖縄音楽ブームの引き金になった。

当初、りんけんバンドは知名定男のバックバンドとして結成され、やがて独立した。リーダーの照屋林賢てるやりんけんはコザ生まれ(1949)のコザ育ち。祖父、林山りんざんは沖縄古典音楽の演奏家。父、照屋林助りんすけはワタブーショーという沖縄歌謡漫談の人気者。照屋家は楽器・レコード店だったので、沖縄の唄も洋楽も毎日ガンガン流れていた。こういう理想的な環境が、林賢の音楽性の基礎を作った。

リード・ヴォーカルの上原知子は糸満出身。小学校に上がる前から島唄を徹底的に仕込まれ、糸満ヤカラーズというファミリーバンドの一員として人前でうたってきた。彼女の音感は完璧に沖縄的だ。りんけんバンドは、彼女の沖縄的感覚を洋楽ポップスと結びつけた。シンセサイザー、ベース、ドラムスの導入によって、沖縄音楽の新しい魅力を引き出した。洋楽などを片っ端から取り入れて沖縄化してしまった父の影響もあっただろう。そんなしなやかな柔軟性もまた沖縄音楽の大きな魅力だ。

さらに、男性3人のヴォーカルが林助先生の愉快な側面を受け継ぎながら元気いっぱいに弾ける。彼らとエレガントな上原知子との鮮やかなコントラストが、りんけんバンドの演奏に幅を与えている。

かつて、コザの胡屋十字路の一角に古ぼけた二階屋があり、その2階が林賢スタジオだった。りんけんバンドの初期の傑作は、この小さなスタジオから生まれた。現在、林賢は北谷町美浜に豪華な機材を揃えた大きなレコーディングスタジオを構えている。だが、りんけんバンドの音楽は、胡屋十字路の狭いスタジオを満たしていた空気、昔から芸能が盛んで戦後は米軍嘉手納基地の門前町となったコザの独特の空気なしには生まれなかったはずである。