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ハワイ沖縄人社会

執筆者:

写真:垂見健吾

ハワイ社会は多様(ゆたか)な人種により構成される。それは知られるが、太平洋戦争の直後までその圧倒的多数――40パーセント以上(2020年現在は約18パーセント)を占めたのが、日系アメリカ人だったことについてはあまり知られない。その日系アメリカ人社会は実に複雑である。理由は、日系アメリカ人社会の約25パーセントを占める沖縄人社会の存在による。国分類するとき、あるいは日系社会の都合(例えば選挙)により、沖縄は日系の一構成分子と見なされる。

表面は一つなのだが日本人(ヤマトーンチュ)は、沖縄人に相容れがたいものを感じ取り、腹の底でとまどった。その特異な伝統と文化が、日本のカテゴリーをはみだす(理解を越える)ことによった。沖縄の文化に新鮮を感じる、いまごろのヤマトと表裏の関係だが、根本に蔑みと偏見が横たわる点で(いまのヤマトでもまま見られることだが)異なった。独立琉球王国の民である、との誇りを宿すウチナーンチュの、根、と「異質」を嫌い拒絶する大和民族の、純粋質、がハワイにいてなお、弾きあった。これが日系アメリカ人社会を複雑にする原因のひとつである。

沖縄人社会もひとつではなかった。皇民化教育の線上のウチナーンチュとして、積極的日本人化をめざす一派もあり、それが沖縄人社会を二分した。つまり、はたには日系人社会というひとつのものが、内部では二分したのであり、その一方の沖縄人社会は、さらに日本派とそれに抵抗する反日本派とに分裂したのである。

なりゆきとして日本派はごく自然に、アンチ・アメリカンへ移行し、反日本派はごく自然に、プロ・アメリカンになった。

――ハワイ沖縄人社会分裂の具体例として、太平洋戦争において。反日本派にとり日本は滅ぼすべき敵だが、沖縄は守らねばならない、との相反するようだがきわめて自然でユニークな発想をもった。これにたいし、日本派のさらに極右派は『布哇必勝会』を結成、反日本派殲滅の秘密工作という実力行使にも出た。

いついかなる場合もそうだが両極端があれば、中庸の人々が誕生する。反日本派の気持ちも日本派の気持ちもよく分かりながら、独自の考えをもつにいたる人々である。

――具体例を現在に移して。反日本派は故国沖縄を「護る」米軍基地の存在を、アメリカ人として、当然とする。日本派ことに極右派は、戦争に勝った日本に存在する敵なので、鉄条網に閉じ込められている。だから存在は無害だとする。つまり両派とも存在を「容認」する点で、共通する。

だが、中庸派は、平和の観点から、いかなる軍隊も存在してはならない、と考えるのである。さて、ハワイの沖縄人社会を知ったあなたは、何派に与するであろうか。

ともあれ現在、ハワイのウチナーンチュ社会の活躍主体は、四世から五世となった。もちろん「日本語」はわからない。そういう沖縄を知らない世代が沖縄情報を渇望する。――唄・三線・琉球舞踊を習い、沖縄から芸能一座を呼び寄せる。日本語放送は沖縄の放送局と提携して、リアルタイムに放送をする。私がよくお世話になる牧師さんの車にはいつも沖縄民謡が流れる。「他府県」の出身者には、クニをこのように思う現象はほとんど起きていない。「文化」という言葉に思いを至らせる現象ともいえる。

よくながめれば、さまざまな形に分裂するハワイ日系人社会だが、それというのも日本の独立琉球王国の併合(1879)、さらには薩摩の独立琉球王国進攻(1609)にまでさかのぼることで、はじめて分裂の根は納得されるのである。