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民謡酒場

執筆者:

写真:垂見健吾

琉球民謡の歌と演奏が聞けて、お望みとあれば自ら歌うこともできる。名のある民謡歌手はたいがい店を持っている。民謡クラブとも言い、コザ周辺に多い。チャージはドリンクとつまみが付いて1500円程度。沖縄の夜、民謡酒場に行かない手はない。

もし、はりきって出掛けた人が「つまんなかったー」と帰ってきたら、行く時間をまちがえたのだろう。10時。店内はからっぽで、歌い手たちが手持ちぶさたにカウンターで酒を飲んでいる。11時。客が2、3組入ってくる。12時。一気に客の数が増える。1時。空き席がなくなり、出たがりやの客がマイクの奪い合いをはじめる、とこんな具合に民謡酒場が佳境に入るのは深夜をすぎてからだ。

客が入っているときといないときで、あれほど雰囲気が変わる場所もない。からっぽだとステージの派手なデコレーション、布張りの赤い椅子、その背に掛けられた白いカバーなど、見るものすべてがわびしさをそそるが、客が入った瞬間に華やかなパフォーマンス・スペースに転じるのだ。その変幻ぶりは手品を見ているよう。

かつて那覇の寄宮よりみやに「むやーぐゎー」という店があった。いまも同じ名前の店はあるが、オーナーが変わってもとの雰囲気はない。この店で一番おもしろいのは客だった。自由に楽屋を使って扮装したり化粧ができるので、凝った芸を披露したくてここに来る客が引きも切らなかった。息子に車を運転させて週に2回来るという初老の男性は、頬を赤く塗って踊るのが好きだった。まずい歌に平気でへたくそー! と怒鳴るおばあさんは、「淡谷のり子」と呼ばれて恐れられていた。本土ならとっくに老人は寝ている深夜すぎに、腰の曲がった老女がひとりでやって来るのにも驚いた。カウンターの隅に座ると、店の人が黙ってウーロン茶を出す。この席でお茶を飲みながら舞台を見るのが彼女の日課らしいのだ。

「思むやー小」のスタッフは、こっちが食われてしまうほどすごいのがいてオソロシイ、と漏らしていたが、それほどプロとアマがしのぎを削るのが沖縄という土地である。芸能を支えるのはひとにぎりの天才ではなく、無名の人びとの中に埋蔵されている芸の量であることを民謡酒場は教えてくれる。