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ノロ

執筆者:

写真:垂見健吾

私のおばあはノロ、我が家の屋号はノロ殿内。本や雑誌では行事の時のノロしか紹介していないので、ノロは一年中白い神衣装で祈っているようなイメージを持っている人や、ノロとユタをごっちゃにしている人も多いようだ。個人的には、崎間敏勝著・「ノロ祭祀の本質」にある「ノロは琉球国の宗教公務員」という表現が一番しっくりくる。ノロは、首里中央から地方まで整然たる組織で運用されていた。我が家でも、王朝時代には王府からティマ(お手当て)があったそうだ。ノロ地という比較的上等の土地を持っていたとはいえ普通の農家。ティマのおかげで、重箱用の食材やウガングッズを用意することができたのだ。(今でも字経費で賄われているものもある)

普段のおばあは、掃除をしたり、拝みに来る人たちに他の拝所の案内をするぐらいだが、行事前になると、区長さんとの打ち合わせや重箱の準備で忙しくなる。行事での拝みは、ほとんどが住民の安全や豊作を願うものだが、地域独自のものもある。我が富盛区で言えば、近くの山・八重瀬岳の拝みや、山の神様を鎮めている大獅子の拝み等がそうだ。拝みは、ノロであるおばあのみで行われるもの、区長さんと一緒のもの、さらに区民参加で行われるものとがある。子供の頃、最も楽しみにしていたのが、豊作を祈る行事ウマチーだ。大勢の区民を代表して神様に祈りを捧げるおばあは凄くカッコよくて誇らしかったし、最後に飲むミキ(米を発酵させた飲物)のトロッとした喉越しと優しい甘さもこたえられなかった。以前は皆、水筒やヤカン持参で来て、参加できなかった家族用に持ち帰ったものだが、菓子の甘さに慣れた子供たちが飲まなくなり、今は作る量が減っている。どこかの業者が、バナナ味のミキを作ったらしいと言う噂を聞いたことがある。おばあは、「いいかもしれないねー」と言って笑った。友人宅の火の神に、ポテトチップスが供えられていたことを話した時も笑顔だった。おばあの持論は「気持ちが一番大事」。だから、「大変だったらお供え物はカレーでもスパゲティーでもいいさー」と言う。時代と共に神様達の味覚も変わっていくだろうから…そう言いつつも、おばあは、昔ながらのご馳走作りに精を出す。本音ではおばあも、本来の形で残していきたいのだろう。しかし、現実的に働く女性が増えて、ノロはどんどん減っている。加えて、ノロの神秘性ばかりが強調され、特別なイメージが出来上がってしまっている。おばあは心配しているのだ。これでは継承者がいなくなってしまうと。ノロは特別な人ではなく行事を取り仕切る人なのだ。拝みごとも元々は身近なものであったはずなのだ。ジーンズで拝みに行ってもいい、負担にならないお供え物でいい。こんな時代だからこそ節目節目に、作物や自然、周囲の人間に対して感謝する機会をなくさないでいてほしいということではないだろうか。だからおばあ、ワインとチーズでもいいよね。