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琉球武術

執筆者:

写真:嘉納辰彦

沖縄には様々な武術が見られるが、打撃系格闘術の殆どは中国拳法の影響を色濃く残している。沖縄は歴史的に福建省と繋がりが深く、主に中国南方の拳法(南拳)の影響を受けた。組み討ち系では沖縄相撲があるが、こちらは韓国相撲にかなり近い。

さて、島津によって武器の携帯を禁止され、その圧政に抵抗する民衆の手段として徒手空拳の格闘術が発達したという、梶原一騎によって広まった説がある。まあ、そこまで明快な因果関係を筆者は取らないが、そういう要素もあっただろう。中国拳法と反政府結社の関係にも見られる通り、格闘技には「抵抗のため」という一面がある。その裏に書いてあるのは「弾圧のため」である。ちなみに沖縄の武具には殺傷力の大きいものは少ない。

今でも、沖縄のどこの村落にも武術の達人の逸話が残っているし、祭りでは青年団による演武が見られる。棒や鎌、トイファー(トンファー)やヌンチャクを使って青年たちが披露する型の中に、琉球・沖縄の歴史が浮かび上がる、と言っては大袈裟だろうか。

少年たちは近所の空手道場へ通うことが多いし、学校の運動会でも棒術の演武をしたりする。こうした風土が、名だたるボクサーやキック・ボクサーを生んだのだろう。小柄だが闘争心溢れる(血の気が多い)沖縄青年には、体重制格闘技が向いているようだ。

かつて東京に集団就職した沖縄の青年たちは、後楽園ホールに通った。そこに行けば、沖縄の血を受けた男が本土の男を倒す姿が見られる。「沖縄」であることに誇りを持てる場所。四角いリングの中でスポットを浴びた若者には、応援の指笛が聞こえたことだろう。

そうそう、あの美しい琉舞の中には護身術を織り込んだものもある。女だと思って不埒な振る舞いに及び、抜き手や膝蹴りで金玉を潰された観光ヤマトンチュー数知れずという。恐ろしいことだ。