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タコライス

執筆者:

写真:嘉納辰彦

その歴史は沖縄本島北部金武きん町にある、ある飲食店から始まった。

その店「千里せんり」は、米軍基地のゲート前にある小さな店で、基地の町の店らしく米兵相手に軽食を出していた。しかし80年代に入り円高時代になると、彼らの羽振りはめっきり悪くなり、昔ほど店で食事をしなくなった。そこで店主は、安くて、しかもボリュームのあるメニューを出そうと考えた。その新メニューがご飯にタコスの具をのっけた「タコライス」なのだ。中米生まれで米軍経由で沖縄に入ってきたタコスを、いかにも沖縄人的にテーゲーにアレンジしたこの新メニューは大ヒットして、千里の名物メニューのみならず地域の名物になり、基地の町中部を中心に広がっていった。

那覇出身の僕がその存在を知ったのは、90年に入ってからだ。初めてその名前を聞いた時にはまったくどんなものか想像できなかった。当然のように「タコの切り身をライスにのっけたエグイもの」を想像した。那覇ではタコライスはまったく知られてなかった。ところが金武出身の友人は、いかにその食べ物がおいしいのかを力説し、「タコライスは故郷の味」とまで言いきった。そこまでいうのならとその友人に連れられて那覇から金武まで車を走らせた。千里のタコライス、しかもテイクアウトでなくちゃだめなのだそうだ。村芝居の練習の後にみんなで食べたタコライスの味が忘れられないという。店はなんと午後5時以降にしか開かない。しかしトッピングにトッピングを重ね、容器からはみ出し加減のタコライスは、確かにおいしかった。

僕が面白いなと思ったのは、タコライスの地域性である。あくまでも中部の食文化の中で生まれた新メニューなのだ。だからその後、ぼちぼちと大学の学園祭メニューとして顔を出しはじめ、91年頃にはスーパーの弁当のひとつとして沖縄全域に広がり、94年にはレトルト製品が登場して、全国デビューにまで至るとは思わなかった。「フォーエバー産業」というところが商品化したのだが、タコライスの魅力を一般に浸透させるために、92年頃から小学校の給食のメニューにタコライスを売り込んだという。

このようにタコライスは沖縄の90年代を代表する一品である。しかし見事に成り上がったタコライスなのだが、元祖の千里のおじさんは、あまり気にする様子はないらしい。沖縄の食文化の最新チャンプルーの傑作といえるだろう。