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写真:垂見健吾

「沖縄では豚は鳴き声以外捨てるところがない」といういい方がある。しかし、かつては鳴き声さえ捨てなかった。

《子供たちにとって正月とはまさに「豚肉を食べる」ことにつきるのであり、血をとる時のガヮエー、ガヮエーと鳴き叫ぶその声は食欲をそそり……》(島袋正敏『沖縄の豚と山羊』1989年)

農家には豚小屋が必ずあり、年に1度、正月のハレの料理のために豚をほふっていた頃、鳴き声は食欲をそそる強力な刺戟剤の役割を果たしたわけだ。

今は豚の自家飼育こそほとんど見られなくなったけれど、沖縄の人びとがもっている豚肉への愛着はなお並はずれたものである。それを自分の目で確かめたければ、那覇の公設市場へ行ってみるのがてっとり早い。

ずらりと並んだ肉屋。そこには、1頭の豚のあらゆる部分が売られている。顔の部分からまるのままはがした面皮(チラガー)がある。これは、細く切ってあえものにした、ミミガー刺身の材料。

ひざから下の足(チマグー)が山と積まれている。足は適当な大きさに切って、カツオだしで長時間煮る。結び昆布とダイコンをそこにほうりこみ、アシティビチをつくる。ゼラチン質がとろけるようなこの煮込み料理は沖縄人の大好物で、アシティビチ専門の食堂まである。

皮つきの三枚肉(べーコンをつくる部分)は大きな塊りのまま置いてある。角切りにし、カツオだしで長時間煮て、砂糖、醤油、泡盛、味醂みりんなどで味をととのえたのが、豚料理の代表格、ラフテーだ。箸がすっと通るくらいやわらかい。また、ラフテーは皮つきの肩ロース肉も使う。

胃や腸。これを使った代表的な料理は、ナカミの吸いもの。徹底的に洗ってゴミやアクをとり、九年母くねんぼの皮やショウガと一緒に煮て匂いを消す。それをまた洗ったうえで、カツオだしで吸いものにする。

骨つきアバラ肉。ソーキ骨のお汁にする。最近はソーキ骨の煮つけを入れたソーキそばがはやっている。

血。三枚肉、ダイコンその他の野菜と一緒に炒め煮にした血イリチーをつくる。行事料理のひとつになっている。

それにむろんトンカツに好適の大きな赤肉の塊りもある。その他、高級料理として、ロース肉に黒ゴマをまぶして蒸したミヌダル、三枚肉を味噌汁に仕立てたイナムドゥチなど、沖縄の豚料理はじつに多彩で豊かだ。

ただし、徹底した豚好きの沖縄であっても、昔から豚がふんだんに食べられたのではなかった。豚というと目の色が変わるくらい、むしろそれは特別な食べものだった。

ウヮーソーグヮチ(豚正月)という言葉がある。正月の3、4日前、農家では大事に飼育していた豚一頭をほふる。解体するやいなや、首肉の部分をとって、豚汁をつくる。それからはじまって、正月の祝いの間、えんえんと豚料理を食べる。一方で豚脂(アンダ)をとり、三枚肉の塩漬けなどをつくりながら、とにかく正月は豚をむさぼるときだった。一年に一度の祝宴だった。それも、戦前までは一家族一頭というのはかなり恵まれているほうで、ハンブンワーキ(2等分)、ミシワキ(3等分)ということも貧しい農家ではけっこう多かったようだ。

だからこそ、豚はつねに渇望のマトだったのである。アンダガーキという言葉がある。体中から脂っ気が抜けてしまうことだ。日頃は、イモとンナシルで3食をすます。そして暑熱のなかでの重い労働。脂肪と動物性蛋白質が慢性的に不足し、ついにはアンダガーキ状態になる。そしてそれをいやすのが、年1度のウヮーソーグヮチだったともいえる。いつも十分に食べることができたわけではないが、このうえなく貴重な食べ物だった。そういう意味で豚は沖縄の食生活の基幹をなしたのである。

中国から豚がもちこまれたのは、15世紀の初め頃といわれているが、明確ではない。1477年の『李朝実録』には、沖縄での豚の飼育が報告されている。食べ物の歴史としては比較的新しいのだ。そして明との朝貢貿易が確立した15世紀半ば以降、琉球王を認知するために中国からやってくる冊封使さっぽうしたちをもてなすべく、豚の飼育が本格的に行なわれるようになった。

しかし、豚が全沖縄にひろがっていったのは、1605年、中国から甘藷(イモ)が入ってきた後、といわれる。イモによって農村の常食が確保され、人の食べがらであるイモの皮を豚に与え、飼育することが可能になった。以後、徐々にではあるが、農民も1年に1度は豚をつぶすというふうになっていったのだろう。

明治13年には、50339頭の豚の飼育が記録されている。日本本土では肉を食べる習慣がまるでなかったから、比較にならない。飼育頭数は、戦後も昭和40年代に入ってから急速に伸びた。昭和60年で約30万頭。

一人当りの消費量でみると、昭和40年で9・1キロ(全国平均3・0キロ)、昭和60年で15・3キロ(同10・3キロ)。この数字には豚肉の加工品が入っていないから、それを入れれば沖縄と全国の差はもっと大きくなるはずだ。

食生活は文化の基盤をかたちづくるもののひとつという考えに立つなら、沖縄にはやはり確固として固有の文化がある。沖縄にとっての豚が、それをはっきり語っているといえるだろう。