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赤土あかつち

執筆者:

写真:垂見健吾

沖縄本島中部の石川以北と石垣島、西表いりおもて島にある赤い土のことである。沖縄でこのアカツチという言葉を口にするときには、その赤土が山や畑から流れ出し、海に注いで海底に積もってサンゴ礁の生き物たちを苦しめていることがらを語っているのだ。

ところで沖縄の島々の誕生を語る神話では、東の波が西に、西の波が東に越えていくような、平べったく小さな島が大きくなったものだという。奄美から与那国までの島々が隆起珊瑚礁であることを示している。沖合で白波を立てているサンゴ礁。それが天然の防波堤として小さな島々を台風から守ってきた。静かなリーフ内は、海草が豊富な海の畑であり、蛸や魚が湧く海の牧場である。狭い陸地を補って、人びとの命をサンゴが支えていることを忘れてはならない。「サンゴは食えない」から、白保の海を埋めて空港を造ろうとした市長も県知事もいたくらいに、現代人はサンゴの恵みも、サンゴへの恩義もすっかり忘れている。遠浅のサンゴ礁の海は土建屋行政の埋立に狙われているだけではなく、陸地の乱開発で流れ出す赤土に脅かされている。

雨が降れば、川には赤土が血のように流れ、海も黄土色に染まる。陸地が溶け、沖縄が自慢するサンゴ礁の海は瀕死の状態である。このままサンゴ礁の崩壊が進むと、島の誕生を逆戻りし、太平洋の荒波にもまれ、島が溶けてなくなる。
 赤土流出が激しくなったのは、機械化農業を目指した大規模の畑の開発が行われるようになった1972年の日本復帰からである。サンゴ礁への悪影響を強く訴えたのは、40年余も沖縄の海に潜り、写真を撮り続けた水中写真家吉嶺全二氏(1997年9月没、著書に「海は泣いている」高文研刊がある)であった。
 吉嶺氏に同行して、土地改良事業協同組合などを訪問した。そこでわかったことは、復帰以来、国の補助金で造られた畑には、沖縄の土の性質、亜熱帯の豪雨、川の長さなど、つまり沖縄の自然条件を無視して、「本土並」の基準を当てはめていることであった。
 赤土の粒は非常に細かいので、流れ出したら「本土並」の沈砂池などではまったく沈殿しない。砂防ダムは文字どおり砂をくい止めるだけで、赤土には無力である。海に流れ着くと海水に溶けているマグネシウムなどと結合して沈殿する。

1995年10月、沖縄県が赤土等流出防止条例を作ったことは一歩前進であった。しかし、この条例は重要なところで不完全なものである。工事期間中についてだけ赤土流出を規制していて、赤土を流し続けている畑も、新たに造成する畑も、完成後は規制の対象外としているからである。その結果、大半を占める畑からの赤土流出は止まらないどころか、新たな赤土発生源を作り続けることになってしまった。赤土と一緒に養分も流れ出し、耕作を放棄した石ころだらけの畑は無惨である。

赤土は発生源でくい止める他はない。畑の流域の中に水田や溜め池をつくって、水も養分も赤土も畑に戻すことが唯一の対策である。本土並ではなく、昔から沖縄の農民がやっていた農法である。
 そして2022年の現在。日本政府は沖縄の民意を踏みにじって辺野古の清澄な海を埋めるために陸と海から大量の赤土を運んでいる。民意とは国政選挙や知事選挙で辺野古の海を埋めて米軍の飛行場と軍港を作ることに反対の政治家を選び、さらには2019年2月の「辺野古の埋立の是非を問う」県民投票で72%の人々が「埋立に反対」に投じた民意である。ここにも日本政府の沖縄に対する構造的差別が現れている。