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ティダ

執筆者:

写真:垂見健吾

沖縄語では太陽はティダあるいはテダと呼ばれる。語源説としては「照る」の変化とか、「天道」とか、いろいろある。日が照っているのに降る雨はティーダアミ。同じことをティーダブイ(太陽降り)とも言う。似たような言葉にティーダブーイというのがあって、これは日向ぼっこの意。夏のビーチでは観光客が砂浜にたくさん並んでティーダブーイしている。

日常語としてのティダはただ太陽だが、南西諸島の神話体系の中ではティダの役割はとても大きい。太陽神は古代沖縄の宇宙観の中心にある。古い時代には太陽は東方にある穴から毎日昇って、西方の穴に沈むと考えられていた。この「ティダが穴」は具体的に実在するもので、例えば久高くだか島のクボウの御嶽うたきはその一つであり、『おもろさうし』にはここの神女に向かって「又てだが穴の司子つかさこ」と呼び掛ける歌がある。ただし、これは単なる称号であって、おもろの時代にはもう太陽が穴から昇るとは信じられていなかったかもしれない。

太陽はよく人間の女を選んで妻とする。神の妻は衣服を作るのが仕事らしい。『古事記』の中の天照大御神が神御衣を織ったという記述はその反映である。

逆に機織りをしていた女が太陽の光で身籠もるという話もある。

南西諸島で、広く知られているのは奄美大島に伝わる思松金おもいまつかねの話で、太陽に愛された思松金が生んだ子はやがて天に昇って、試練を経たあげく父に認知され、占いの勉強をして地上に降りた。そこで母の思松金はユタの先祖になり、息子の方はトキ(男ユタ)の先祖になったという。

ティダはまた按司あじや王の尊称でもある。「大里のてだの/てだきよ按司あんじの/御愛みかなしてだ/又桜色のてだよ/真玉いろのてだよ」というのは大里というところの按司を讃える歌である。

亜熱帯の島では太陽の存在感はとても強い。按司を太陽になぞらえるのは、本当に輝く恩恵を讃えてのことなのか。ひょっとしたら、暑い日中に戸外で仕事をしていた者が、按司の圧倒的な支配力への皮肉もこめて太陽と呼んだのではないかと、ある暑い日の午後に強烈な陽光を恨みながら西表いりおもての上原から星立ほしたてまで歩いた時、ぼくは思った。