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グスク

執筆者:

写真:垂見健吾

始めにグスクありき、だった。例えば那覇市に南接するぐすく市という地域の起こりは、その市にある「とよみぐすく」、つまり名高い立派な城(グスク)から始まる。やがて「とよみ(豊見)ぐすく」と呼ばれた城を中心とする地域名となり、その地域を領する偉い人の肩書(例・豊見城按司あじ、豊見城親方うぇーかたなど)、今ふうに言えば姓となった。したがって、沖縄ではグスク(城)→地名→人名の順で広がったのである。大城・山城・花城・宮城・玉城・与那城・城間など沖縄に城の字の付く姓が多いのは、はるかな昔のグスクをめぐる物語と深く関わっている。

ではグスクとは何か。まず城タイプ(A)がある。首里しゅり城(正しくは首里グスク)や今帰仁なきじんグスク、勝連かつれんグスク、中グスクなどがその代表で、規模が大きく、堅牢な城壁を持つ。次に倉庫・砦タイプ(B)があり、那覇港周辺にその例が集中している。貿易品の格納庫であった御物おものグスク、硫黄の保管所であった硫黄グスク、港に侵入する敵船を撃退するための大砲を設置していた屋良座森やらざもりグスクや三重グスクである。

問題なのは、A+B=グスクの全体、ではない点にある。沖縄本島だけでも200を超す1グスクがあると言われているが、AプラスBは全体のせいぜい2、3割程度でしかない。では残りの多数派のグスクの正体をどう説明するかをめぐって、学者の間でグスク論争が繰り返されており未だに決着を見ていない。昔の共同体・集落の跡ではないか、神聖な霊域として崇拝された所だったのではないか、いや違う、小さいとはいえ他の多数派のグスクも城と考えるべきだ、などなど。それに対して酒の好きなある歴史家は、始めにグスクを聖域として崇める共同体・集落の時代があり、その中の一部はやがて城(A)に発展し、残りの多数派は城とならずに聖域のまま有りつづけ、城となったさらに一部のグスク(例・首里城)がその機能の一部として倉庫・砦タイプ(B)を派生させた、とアルコールの勢いをかりて主張した。

はっきり言えることは、グスク(城)として最後まで生きつづけたのが首里城だという点だ。したがって、「首里城の解剖は他のグスクの理解に通ずる」というテーゼを設定できる。長生きして、論争の決着を見よう。

【編集部注】

  1. 沖縄本島で223件が確認されている(2008年刊『沖縄民俗辞典』「グスク」目崎茂和より)