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港川人みなとがわじん

執筆者:

写真:嘉納辰彦

およそ1万8000年前の現生人類(ホモ=サピエンス)。旧石器人の容姿を、体型や顔立ちにいたるまで具体的に説明できる、日本で初めて出土した化石人骨。1968年に具志頭村ぐしかみそん(現・八重瀬町)港川の石切り場で発見、70年の本格調査で4~7体分を発掘した。
 体型は、男性が153センチ、女性が143センチと小柄で、やや胴長。腕は細めだが、手が大きい。脳は、現代日本人の8~9割と小さい。狭い額がやや後ろに傾いている。

発見したのは、96年に亡くなった在野の考古学者・大山盛保おおやませいほ氏(1912年生・中城村なかぐすくそん出身)。10代で父とともにカナダに移住したが、戦争開始とともに財産をすべて没収され、日系人収容所に連行された。終戦後に沖縄に引き揚げ、通訳を皮切りに、沖縄住宅公社の初代総支配人に就任。その後、合資会社OK運輸を設立し、那覇市の泊高橋交差点付近に沖縄初のガソリンスタンドをつくった。現在も営業中の「OK給油所」だ。「沖縄は産業を起こさなければいけない」を口癖に、オートマチック・コンパクトカメラ「NEW  PAX」も製造、販売した。沖縄だってこのくらい造れるんだぞ……という気概を「MADE  IN  RYUKYU」に刻んでいる。
 このような起業精神と、港川人発掘に取り組む思いは、同じ根っこから出ている。焦土と化した沖縄の実情が「沖縄は、どこの国にも負けぬ古い歴史と文化があるのだ」という研究者の顔もつくったのだ。

大山氏は生前、港川人が死んだ原因についてこう推察している。
 「……人骨は、裂け目から発掘したのです。27~30メートルも下の一番底からです。では、どうしてそんな裂け目へ港川人は落ちたのか。ただ落ちただけだとすると、砕けるんです、人間の頭がい骨は。でも、砕けていない。つまり、水と一緒に落ちたことになる。では、なぜ、水と一緒か。それは、大地震です、大地震……」(ラジオ沖縄「屋良やら悦子のおはようインタビュー」96年1月放送)
 他界後、辺戸へどみさきのそばにある宜名真ぎなま海底鍾乳洞から、沖縄で初めて旧石器がみつかった。96年12月7日付の琉球新報は「2万年前の旧石器発見」と一面トップで報じている。
 大山氏の説に沿えば、その海底鍾乳洞に住んでいた旧石器人は、港川人が死んだのと同じ大地震に遭い、水没した可能性がある。

【編集部注】

  1. 2021年、DNA分析の結果、港川人は遺伝的に縄文人や現代日本人の直接の祖先ではないことがわかった。英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に論文掲載。