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おきなわ文庫ぶんこ

執筆者: ,

写真:垂見健吾

身近な沖縄を深く知るための、新書判百科全書。那覇市首里しゅりのひるぎ社から刊行されており、1992年3月末、60冊に達しているが全点版を重ねている。特に売れ行きのよいのは1万部に手が届こうという『おきなわ歴史物語』(高良倉吉たからくらよし)をはじめ、『沖縄戦を考える』(嶋津与志)、『沖縄の心を求めて』(石田穣一)など。出版の意図は、巻末の「『おきなわ文庫』発刊に寄せて」に全てが語り尽くされている。「……『沖縄を見直すために』……略……本来我々の共有財産となるべき研究の成果が一部の書架にのみあるのを憂い、各界気鋭の業績を、良心的編集のもとに、廉価で美麗に多くの人々に提供しようと考えた。……一九八二年五月十五日」

発行部数を抑えざるをえない地方出版ながら、定価は全て1000円以下。新販路として、空港売店を開拓。今や、本文庫全体の5割が空港で売れているという。92年で発刊10周年。なにか沖縄に惹かれるものがあれば、必ず読みたいものがあるはず。ぜひどうぞ。(斎藤潤)

考えてみれば、この文庫ほど沖縄と本土を結びつけた出版物はない。なにしろ沖縄の「駅」である空港と首里城しゅりじょうの売店で7割が売れ、そのほとんどが本土からの旅行者なのである。

深みのある赤い表紙のシリーズに、緑色の表紙が混じるようになったのは97年の夏ごろ。それが倒産したためだと知ったときは驚いた。なにしろ、ひるぎ社の母体である南西印刷は、県内の印刷会社でも大手といわれていたからだ。

南西印刷の出版事業は、この会社の経営者である西平守栄にしひらしゅえい氏と、80年に役員として入社した義弟の富川益郎とみかわますお氏という、あくまでも頑固に夢を追う、ふたりの強烈なキャラクターに負っている。

80年代初頭は第2の市町村ブームといわれ、さかんに県史や市町村史が発刊されたが、これが難解で発行部数も少ない。なんとか「高卒程度の学歴でも読める普及版を」として出版されたのがこの文庫である。そのためには定価も1000円以下と設定。表紙を赤い色で統一したのは印刷コストを下げるためだった。

豪華本中心の当時の沖縄出版界にあって、この価格は画期的だった。さらに2カ月に1冊という定期刊行も、沖縄では「革命的な出来事」といわれた。

第1号は82年の『近代沖縄の寄留商人』(西里喜行にしざときこう著)。文庫の掉尾に「『沖縄を見直すために』――これこそ小社の栄ある事業である。」としたのは、あくまでも沖縄の文化や歴史にこだわる意思表明だった。

順調な出版事業に翳りが見えはじめるのは90年代にはいってから。バブル経済の破綻が南西印刷を直撃し、96年に西平氏が死去すると同時に倒産した。そのあおりを食ってひるぎ社も倒産。すでに78冊のシリーズを出版していた。

おきなわ文庫を救ったのは、高良倉吉琉球大学教授らの呼びかけで集まった1口2万円の賛助金だった。これを資金に富川氏を代表とする新生「ひるぎ社」が、社屋を那覇市首里から東町の倉庫に移して再建される。旧「ひるぎ社」と区別するために緑色の表紙に統一した。母体である印刷会社を失ったいま、これまでのように廉価本を商業ベースに乗せるのは容易でない。それでも「地味でもいいからコツコツ研究したもの」にこだわる富川氏の意地たるや、まさに出版人の鑑ともいえる。1(奥野修司)

【編集部注】

  1. 富川益郎氏の逝去により2001年、活動が停止し、ほとんどが絶版状態になっていた。2012年、おきなわ文庫に魅せられた秋山夏樹氏により株式会社おきなわ文庫が設立され、沖縄eBooksとして電子書籍化が実現した。