内容をスキップ

ギンネム

執筆者:

写真:垂見健吾

竹富たけとみ島に降り立ってまず目にする緑は、鬱蒼としたギンネム林。まるで大昔から住みついているように繁茂しているが、沖縄に導入されたのは、明治の末にセイロンから。わずか100余年前のこと。最初は緑肥用としてだったが、なかなか使いでのある植物で広く各方面で利用されている。原産は中央アメリカ。マメ科の木で10メートルくらいの高さになる。ネムをふた回りほど小さくした白くかわいらしい花をつける。場所によっては、原野一面がこれで覆われていることもよくある。

池間いけま島で宿のおばぁとギンネムのことを話していたら、「いつやって来たかねえ。小さい頃はなかったさ。その頃あれば助かったのに。昔は今のようにガスも水道もないから。煮炊きは全てマキさ。どこの家でもマキだから、集めるのが大変でそれは苦労したさ。随分遠くまで拾いに行って。それが、これが入ってきたら、あっという間に林になって、よく燃えるしどんどん大きくなるし、葉っぱはヤギの餌にもなるし、本当にありがたかったさぁ」。薪や家畜の餌として戦後も長いこと重宝したという。

現在はどうか。繁殖力の強さを活かし荒地の緑化、斜面の土砂止めとして縁の下の力持ち。餌としても利用されている。それから、種を加工した民芸品。最近とんと見かけなくなったが、復帰後長らくハブグヮーなどと並び値段が手頃で嵩張らず、とりあえずどさっとまとめ買いされるお土産の雄であった。焦茶色の平たくツヤツヤした種を細いテグスで綴った首飾りや土瓶敷きは5、10個単位で売られ、なかなか人気があったのだが、「そういえば、数年前から急に入荷しなくなったね。あんまり儲からないけど結構売れてたのに。手間がかかりすぎるんだろうね」と店の人。堅い種は一度茹でて柔らかくし、一粒一粒糸でかがってゆかねばならない。人手不足の影がギンネムの上にまで落ちているとは。

【編集部注】

  1. 戦後は、焼け野原となった沖縄に緑地を早く回復させるため、米軍が空から種を大量に蒔いたという。
  2. 近年では、葉や茎を発酵させたギンネム茶が健康茶として注目されている。