大島紬
鹿児島や宮崎でも大島紬は作られているが、この「事典」ではもちろん「本場奄美大島紬」をとりあげる。
名瀬市を中心に、まわりの島々で戸ごとに機音がしていたというこの紬は、1000年をこえる歴史を持つ由。インドから沖縄の久米島をへて日本全土へつたわった絣とおなじルーツのものと思われる。きょうだい関係のインドネシアのイカット(絣の世界的用語)が各島それぞれの村に独自の模様をもつように、ここでも村ごとに特色のある柄を織っていた。
この前の戦争(空襲による資料焼失)、戦後の本土から分離の8年など苦しい時代を通ってよみがえったのが奄美大島紬である。
本場奄美大島紬として認められるのは絹100パーセント、絣模様それも締機による絣模様、先染手織り、泥染・藍染など純草木染。その主力はやはり着尺。
締機による絣締め技法は明治40年に発明された。木綿糸をタテ糸にはり、長さ、よりをそろえたごく細い絹糸(1本の細さは1ミリの3分の1という)を少しずつ束ねて糊で固め、これをヨコ糸にして絣模様のデザインにあわせて左右からくぐらせ、しっかり締める。このとき5、6キロの重さがかかるといわれ、くいこんだ木綿糸が絹糸への染料の浸透をふせぐ重要な役割を果す。締め作業は昔もいまも男の仕事である。
締めあげてムシロとよばれる糸は車輪梅などで染色され、田圃で泥染めされることをくりかえし、織へまわされる。高機である。
一反450グラムという軽さは、大島紬の繊細さを語り、光沢があり、なめらかでかるい着物になる。
和服を着ない人がふえ、どこもむずかしい時代。時給換算250円ともいわれ、後継者育成が大きな課題だ。売れゆきの停滞に対して色糸を使い、模様をかえ、礼装用などへと模索の様子が見えるが、私は泥染の黒と茶褐色、もしくは泥藍の品が大島紬のいのちと思う。おしゃれ着に最適。
見たところ古典柄の男物の方がずっとモダンで、一匹を恋人、友人とわけあってのペアルックもしゃれている。
さまざまな大島紬が出まわっているので、「本物」志向の人は織り口の「本場奄美大島紬」の文字と張付の地球印、「古代染色純泥染」の商標、合格印確認のこと。でも、むずかしいことをいわずに、まず手頃の値段のものから着てみるのがおすすめ。
連絡先・名瀬市港町本場奄美大島紬協同組合総務・電話0997・52・3411