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慰霊の日

執筆者:

写真:嘉納辰彦

国務大臣の某沖縄開発庁1長官(1998年11月当時現職)が、就任挨拶と視察のために沖縄を訪れたときの話。糸満市摩文仁にある「慰霊の塔」と「平和の礎(いしじ)」を回った。随行した県の職員が、「毎年6月23日には、…」と説明を始めた。すると、長官がキョトンとしながら聞いたという。「ところで、君。6月23日て、何の日?」。随行の職員は、その場でアキサミヨー(驚き)の声を上げたとか。
 せめて長官には、6月23日のことを知ってほしかったが、世の中知らないことは多々あるので仕方ないかと諦めましょう。

沖縄は第二次世界大戦中、日本で唯一住民を巻き込んだ地上戦が展開された。沖縄戦での犠牲者は日米の軍人と住民合わせて23万人余りにもなった。その沖縄戦の終わった日とされるのが、当時の沖縄守備軍(第32軍)の最高司令官だった牛島満中将が自決した日、1945年6月23日。このため、沖縄県では戦没者の霊を慰めるため1974年に毎年6月23日を「慰霊の日」として条例で定め独自の休日とした。ただ、沖縄戦の終わった日は、様々な説が飛び交っている。沖縄戦研究で知られるおおまさひで氏(前知事)も6月23日以降も沖縄での戦闘は続いていた事実から、戦争が終わった日とはならない、と説いている。日本軍の組織的な戦闘が終わっただけで、住民を巻き込んだ悲惨な戦争の実態とそぐわない軍隊中心の記念日という批判もあり、条例制定の頃、議論が沸騰した。ともあれ、最近では、6・23の慰霊の日は沖縄に住む人にとっては、深い祈りを捧げる日として定着している。当日は、ラジオやテレビから流れる正午の時報に合わせて黙祷を捧げ、年老いた遺族の多くは、糸満市の戦没者追悼式に参加した後、それぞれの慰霊の塔の前で、戦没者の冥福を祈る。この日の沖縄は、一日中、線香の煙に包まれ、合掌する姿がある。

【編集部注】

  1. 沖縄開発庁は2001年、中央省庁再編に伴い、内閣府に統合された。