すーじぐゎー
漢字をあてると筋小とでもなるであろうか、細街路、路地(感覚としては路地裏)のことを指す。那覇での生活、そして思い出は、これと切り離すことはできない。
那覇のうだるような暑い夏の一日をオフィスで過し、仕事を終え外に出る。爽やかな夜風に吹かれて、街の明かりに誘われてすーじぐゎーをそぞろ歩くうちに、自然と那覇一番の繁華街の国際通りに出る。市街地は幾つもの集落が連担しているような構造で、その一つのまとまりのなかにマチヤグヮー(小さな店)から飲食店まで、生活に必要なものがワンセットそろっている。これが庭木や街路樹に囲まれると、あたかも公園の雰囲気となる。そしてここには月桃の花の匂いや三線の音がしたりして、生活の息づかいとの出合いがある。一見、野放図とも思える都市であるからこそ、牧志市場の独特の風景があり、狭い曲りくねったすーじぐゎーは、はからずも昔の集落がそのまま残されたような街のたたずまいに導いてくれる。
グーグルマップを拡大して那覇の街路とすーじぐゎーのパターンを見ると、大きさがバラバラでかつ部分的に独立している。この結果、都市全体のシステムが読み取れず、中心性を欠く都市形態となっているが、一方で、多核的な構造で、全体の秩序よりも部分や場所性を尊重した心と体が分離しない都市感覚を感じさせる。この生活空間は、本土の大都市の下町の路地裏が持っている雰囲気とどことなく類似している。
このすーじぐゎー抜きに、戦後の都市形成のプロセスを語ることはできない。大戦ですべて焼け野原になった那覇は、戦前の農村的な集落(の記憶)を復元するようにして、それを拡散、連担して自然発生的に発展したものである。それも闇市に象徴されるように生活の再建を至上として、いわば無秩序の中にあっても、唯一、生活という原理で秩序づけられた都市なのである。こうして形成された街であるから、すーじぐゎーを一つ抜けるだけで、人々の生活が目に見える街の風景をつくりあげた。