しち(節)
西表島祖納の節祭の日1、まだ護岸ができていなかった浜は大勢の人で賑わい、活気が漲っていた。ふだん静かすぎるほどの村のどこからこんなに人が現われたのかと思うくらいだった。砂浜のすぐ上の草地のゴザの上にも沢山の人が居た。よく見ると司らしい老女がいる。野良仕事でもしている時に会えばただのおばあだろうが、今日は違う。村を司る神女の威厳に満ちている。おおきなものを見据える目差しだ。唄や踊りが続く。歌の内容は全く聴きとれない。どこか遠い国に連れ去られ、放りだされたような、漠とした不安と、ちりちりしたときめきを覚える。弥勒が舞う。弥勒世という満たされた世が来るようにと舞う。サァーンサァーンユーヤサァースリサァーサ。さざなみ、風の音、人々のざわめきが渾然とし村に充ちる。
頭からすっぽりと黒衣を被った異形の2人を先頭に、青い鉢巻きをした20名ばかりの女性が登場。彼女達の衣装も珍しく、色こそ違え高松塚古墳の壁画の貴人が抜け出て来たような出立ちだった。異形の女達の踊りは節アンガマという有名なものらしく、その後に狂言風のパチカイ・ロッポウ・キッポウ、棒踊、獅子舞と続き、競漕でクライマックスを迎えた。神歌を歌い統一のとれた動作で沖へ漕ぎだしていった2艘の舟は、ある所まで至ると今度は一斉に岸を目指して漕ぎ寄せる。と同時に女達は波打際に走り寄り、半ば海につかりながら、舟を励まし世を招く仕種の乱舞を始めた。そして、祭は終った。
どうしても、もう一度あの雰囲気に呑まれたくて、その2年後の1976年の秋に祖納の節祭を再訪した。わずかの間に浜は護岸で分断され、随分様子が変っていたが、行事そのものは同じように無事とり行なわれた。ちょっとしたご祝儀を渡したおかげで、村人の間に座って祭見物ができたのが面映かった。
節とは年の折り目で本土の節分に相当。その節替りの祭が節で祖納の他、同じ西表の星立、石垣の川平、宮古島等で大々的に行なわれているという。
【編集部注】
- 旧暦10月前後の己亥(つちのとのゐ)から3日間行われる。