あがい太陽
夜明け前の闇は一段と深い。海沿いの高台から朝の訪れの一瞬を待つ。やがて漆黒の天が解凍され、東の空とも海ともつかないあたりが白みはじめる。それまでは空と海に境などなく、すーっと一条の光の線が横一文字に走り、広がっていく。
ここは沖縄島知念半島の突端の高台。隣で一緒に日の出を見ている女がシルエットに変わっていく。まだ太陽の形ではないが、水平線付近の雲に光が当たり、陰影をつくりながら徐々に明かるさを増し、海面も銀波を増していく。こういうときにこそ、神々しさを感じる。
初日の出を拝みたくて、友人たちとワイワイとやはり知念半島の突端に出かけた。闇が溶け出して驚いた。それまでは暗くて何も見えなかったのが、だんだんと人の輪郭がおぼろげながらも見えだした。しばらくするとそこには人々が鈴なりになっていた。
元始、女性は太陽だった。むかし、太陽は神だった。近頃の太陽は、ときどきは神である。
沖縄には「物呉しどぅ我が主」という諺がある。沖縄は琉球であったころから歴史に翻弄されてきた。波間に浮かんだ浮遊物みたいに、ぽっちゃらこー、ぽっちゃらこーと上流から流れてくる桃太郎の桃のように時代を漂っていた。しま唄「時代の流れ」が沖縄的浮遊時代を的確に言い表している。「唐ぬ世からヤマトぬ世/ヤマトぬ世からアメリカ世/ひるまさ替わたる此ぬ沖縄」と歌われるのだが、実際には「アメリカ世から又んヤマトぬ世」と追加されてもいい時代変遷があった。琉球は長きにわたって中国に朝貢していたころの唐の世、薩摩侵入以降は両属支配から徐々にヤマトの世へ軸足を。明治政府の下での日清戦争以降の猛烈な同化政策。そして沖縄戦以降はアメリカの世になった。間接的支配、あるいは植民地としての琉球、沖縄があった。時代時代の権力者におもねることを「物呉しどぅ我が主」と表現した。
食べさせてくれる権力者こそが我が主である、というなんとも卑下した思想ではある。そこには小国であるがゆえに中国、日本、アメリカという大国から身をかがめて生きてきた背景がある。同様の言葉として「昇い太陽どぅ拝まりる」というのがある。
沖縄では太陽の全てが神というわけではない。それは老農夫をみているとよくわかる。朝早くから畑に出かけて耕す。一仕事を済ますと長いブランチタイム&昼寝タイムを過ごす。しばらくして太陽が西に傾きかけたころに再び畑にでかけて農作業に勤しむ。夜明けからしばらくの間は神としての太陽なのだが、頭上に来るころは、厳しい現実がある。「まふっくゎ」という言葉がある。あまりの暑さで頭の中が真っ白になるくらいに暑い様を言う。沖縄の人々は、この「まふっくゎ」とは喧嘩をしない。このように太陽も善し悪しで、朝のみに神は宿っているというのが沖縄的解釈だろう。
「昇い太陽」を拝むことは、つまり時の権力に迎合すること。言い換えれば、沖縄的曖昧精神。