オキナワン・ロック
♪テケテケテケベンチャーズのこのフレーズが沖縄と日本にロックバンドのタネを蒔いたが、その後の展開は日本のそれと異なる。
米軍の支配下にあった沖縄には、米軍放送やAサインバーのジュークボックスから流れてくるポップスを聴いて育った若者がいた。そしてもう一方には、ヴェトナムに送られる米兵の若者がいた。彼らは沖縄で酒を求め、女を求め、音楽を求め、ドルの札束を降らした。クラブにはレジでは収まりきれないドルを投げ入れる「ドル箱」が置かれていた。売れているバンドは、家が建てられる程のギャラをひと月で稼いでいた。
米兵たちは本国で流行っている曲を求め、バンドはそれを次々にコピーし、ウケる曲を与え続けていく。下手な演奏には容赦なくビール瓶が投げつけられ、またアドバイスがおくられる場合もあった。コピー中心の沖縄のバンドは、本土のロックファンからは、パワーとテクニックは認められていたが、オリジナリティーが無いと言われていた。
70年代半ばになると、パワーとテクニックに裏打ちされた沖縄のバンドがオリジナルを引っ提げて本土へ乗り込んだ。紫、コンディショングリーン等である。
紫がオキナワン・ロックの先駆者ならば、コンディショングリーンはもう一つの顔だった。両バンドは音楽性が異なり、当然ライブハウスに来る客層も対照的だった。紫の店には音楽をじっくり聴こうとする空軍の兵士が多かった。一方、アメリカ南部のロックの雰囲気がただようコンディショングリーンの店には、若い血気盛んなマリン兵が集まり、ボーカルのカッちゃん(川満勝弘)とメンバーのパフォーマンスで大騒ぎだった。またシンキ(洲鎌よしひろ)のプレイもギターキッズたちの憧れだった。
カッちゃんは客を喜ばせるエンターテイナーである。そのパフォーマンスのため、那覇市民会館を二度と使用できないという噂があるが、事実らしい。
その後、ハードロック系、パンク系、エスニック音楽系、ラテン系、民謡系等のバンドを輩出したが、やはりオキナワン・ロックは70年代ハードロックのイメージが強い。
沖縄を離れ、東京へ乗り込んだグループがいくつか出たけれども、沖縄に根を下ろしているグループが長続きし、米兵や沖縄のロックファンに支持されている。
1983年から毎夏1に沖縄本島中部で「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」が催され、地元、アメリカ一緒に盛り上がるコンサートがある。オキナワン・ロックのスピリッツを五臓六腑に染み込ませたい人には、海を越えてでもやってくる価値があると、自信を持ってお勧めする。片手にオリオンビール、もう一方はビートを刻むためにお使い下さい。
【編集部注】
- コロナ禍で2020年、2021年は休止となったが、2022年7月に第37回ピースフルラブ・ロックフェスティバルが開催された。