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獅子舞ししま

執筆者:

那覇市首里の獅子舞い
写真:垂見健吾

獅子舞いは、沖縄の島々、村々に伝わる伝統的な民俗芸能のひとつ。豊年祭や旧盆に披露される。民家の屋根の上や門柱のシーサーが魔除けであるのと同様に獅子舞いも厄払いの意味がある。と同時に五穀豊穣と集落の繁栄をもたらす力があると考えられてきた。従って、民家だけでなく、集落全体の守護神としての石の獅子が鎮座するところもある。東風平こちんだ町(現・八重瀬町)富盛ともりのジリグスクとよばれる小高い丘の上に座る石彫大獅子は「火返しヒーゲーシ」の獅子として有名。沖縄戦の激戦地にも関わらず、戦火をくぐり抜け、今日まで残っている(県指定民俗文化財)。

本土の獅子舞いと違って、沖縄の獅子舞いは、シュロ(ヤシ科の常緑小高木)や芭蕉、苧麻ちょまの繊維で編んだぬいぐるみのような胴体にデイゴの木を彫って作った獅子頭からなる。脚部は中に入る人間がやはり胴体と同じ素材で作られたズボンをはく。本土でお正月などに見られる縁起物の一人獅子舞いと違い、沖縄の場合はほとんどが2人1組。また、沖縄本島では1頭獅子が多いが、宮古、八重山では雌雄2頭が主流。獅子舞いにはたいてい、球を持ってはやし立てる「ワクヤー」という役柄の人間が登場、それに調教されるように獅子が舞う。
 ユニークだが、あまり知られていないのが、石垣市宮良みやらの親子獅子。雌雄のほかに子獅子1頭(一人でかぶる)の計3頭の獅子が登場する。旧盆に村のオン(御嶽)で演技を披露するが、その様子がおもしろい。白装束の神女からご褒美のお神酒みきを振る舞われるのは子獅子である点など、あくまで主人公は子のほう。親獅子はうしろで優しく見守るように静かに舞う。年長者を敬い、次代を担う子どもに大きな期待をかける意味合いが伝わるような獅子舞いだ。

獅子の起源については諸説あるようだが、サンスクリット語の「シンハ」から来たという説が有力(宮尾慈良氏)という。「シンハ」(獅子)の言葉が中国語に音訳され、「瑞獣」(ずいじゅう=おめでたい獣)となり、文殊菩薩もんじゅぼさつがまたがる神獣として仏教の普及と併せて獅子信仰がアジアへ広がったという(沖縄タイムス夕刊「今晩の話題」98年10月21日)。沖縄の獅子もやはり中国から伝わったと考えられている。

獅子頭の色や形や舞い方、伝承内容など地域によって様々なバリエーションがある。それは、佐敷さしき津波古つはこ獅子蹴跳けーらし保存会長の瀬底正樹せそこまさきさんが96年1月1日から97年12月31日まで87回にわたって沖縄タイムスに連載した「シーシ加那志」でも分かる。また、こうした県内各地に伝わる獅子舞いを一堂に集めて、演技を競う「全島獅子舞フェスティバル」も毎年、具志川ぐしかわ市で開催されている。