キビナゴ
沖縄の方言でスルル。奄美でスリィン、ヤシ。ウルメイワシ科の魚で、琉球列島の種はミナミキビナゴ。体長10センチ、体側の一直線の銀白色帯が特徴。
スルルといえば、谷茶の浜にスルルの大群が押し寄せてきた、と歌うコミカルな民謡「谷茶前」ではじめるのが順序だろうが、ここではキビナゴ採りの現場中継をする。
ところは奄美大島北部の竜郷湾。カツオ漁が始まってまもない6月のある日、レポーターは1隻の集魚船に乗っていた。集魚船は、名瀬市大熊のカツオ漁船「宝勢丸」(39トン)の係船で、夜8時、僚船2隻とともに大熊を出てきた。3隻とも1トン足らずの小さな船で一人乗り。
集魚船は、海中に水中灯を垂らし、ゆっくりと湾内を移動する。集魚灯は、昔はハーシィ(松の木の芯)を燃やして船べりで夜焚きした。それからガス灯(カーバイド)に変わり、バッテリーを経ていまは直流発電機。100ボルト1000ワットの光に欺かれ、四方からキビナゴが押し寄せる。海中に白い渦巻きが起こる。初めて見る者には、それが巨大な魚のように見えるが、ガラスを張った鏡桶でのぞくと、おびただしいキビナゴの群れと分かる。その群れが、水中灯のまわりをぐるぐる回っている。
集魚船はそれぞれさらに小さな火舟を1艘曳いており、集めたキビナゴをそれに誘導して移すと、再び集魚に出かける。
3度目に火舟に誘導していったら、一大事出来! 灯下のキビナゴたちが狂ったように逃げまどっている。渦巻きの外でピチャッ、ピチャッ、とさかんに鋭い水はねが上がる。ガツィン(ムロアジ)がキビナゴを襲っているのだった。
「苦労して集めたキビナゴを、こいつらに食い荒らされる時は気がふれそうになる。ダイナマイトでも投げたい気持ちだよ」
船頭の西岡辰男さんが悔しがった。にっくき「大飯食らい」どもの横取りを、なすすべもなく眺めるしかない。せっかく集めたキビナゴの群れが、食べられたり、散ったりで激減している。
ふと気がつくと、狂ったようなキビナゴの渦がおだやかになっている。「さては、救い神さまのおでましか」。勇躍して鏡桶をのぞく西岡さん。「やっぱり」と喜悦と安堵の呟きがもれる。
救い主はタチウオであった。海底に細長い魚体が5つ、6つみえる。大飯食らいどもは、タチウオの姿を見て逃げていったのだ。上には上があるもの。けだし、「海の配剤」と呼ぶべきか。
「トートガナシ、タチウオさまがよそへ行きませんよう…」
船頭は焼酎の一升びんをあけ、ドクドクと海に注ぎながら唱えごとをした。待ちに待った本船が来たのが午前2時。キビナゴはそっくり本船の生簀に移された。「キビナゴはただただ他の魚の餌になるために生まれてくるようなものだが、年に8回も産卵するのでいなくなることはない」と語った西岡船頭の言葉が耳に残る。