移民
沖縄から多くの人が台湾、フィリピン、ボルネオ、そしてハワイ、北米、南米などに移民として出て行った。船が那覇港を出る時、送り出す肉親たちは涙の別れの中でみな同じような言葉をかけていた。
「モーキティクーヨー、ジンガサチドー、テガミアトドー」(儲けてこいよー。手紙は後でもいいからお金から先に送れよー)
貧しいから海外に夢を抱いて移民として出たのであり、当時の沖縄を象徴するような言葉としていまも語り種になっている。苦労に苦労を重ねた移民たちは肉親との約束を守り、郷里に大金を送ってきた。今日の沖縄があるのは移民のおかげといっても言い過ぎではない。
海外に沖縄出身者は30万人余いるといわれる。留学や仕事で出かけた人もいるが、元々はほとんどが移民だ。いまは聞かなくなったが、「海外雄飛」を夢見て沖縄を後にした人たちである。
戦前は貧しかったための移民だったが、戦後は米軍の土地接収によって土地を奪われ、生活の基盤を失ってやむなく海外にという移民も少なくない。沖縄がいつ本土に復帰するかも分からなかったために、海外に夢を託した人も多い。戦前は多い時には年間、4500人余、戦後も年間、2000人近くが移民として海外に出ている。大変な数だ。
海外、特にハワイや南米などではどこへ行っても沖縄出身者に会う。ハワイでは日系人の1・5割、ボリビア6割、アルゼンチン7割という数字が示しているように沖縄は他を圧倒する移民県なのである。
海外に「オキナワ」という地名があることを知っている人は少ない。ボリビアのサンタクルスには「コロニア・オキナワ」がある。ボリビアの地図にも載っているから本当の話だ。沖縄出身者の大部分がコロニア・オキナワに住み、他府県出身者は近くのサンファンに住んでいる。沖縄の社会と本土(他府県)の社会の有り様を比較、研究したい人はコロニア・オキナワとサンファンへ行くといい。母国では見られなくなったようなものが原形に近い形で残っているから興味深いものが見られるはずだ。
アメリカ映画で「ベスト・キッド」というのがあった。同じタイトルの映画が3本つくられ、いずれも全米で大ヒットした。あの映画の主人公はダニエル少年。もうひとりの主人公の老人の名前は「ミヤギ」。沖縄の姓に多い「宮城」で、老人は空手の達人。2作目か3作目の舞台は沖縄だったように、ミヤギ老人は沖縄からアメリカに渡った移民という設定であった。アメリカ社会の中で沖縄出身者(移民)がごくわずかとはいえ、「オキナワ」「カラテ」はなんらかの形でアメリカ人の意識の中にあるのではと思いながら、映画を観ていた。