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ハルサーとウミンチュ

執筆者:

写真:垂見健吾

農民のことを沖縄では「ハルサー」と呼ぶ。立派な沖縄語である。「ハル」とは、春のことではなく「畑」のことである。これが宮古群島の宮古語では「パリ」になる。したがって、宮古では「パリに行く」とは、フランス旅行へ行くことではなく、「畑に行く」という意味である。
 また、「サー」とは「○○をする人」という意味である。しかも、いささか「プロフェッショナル」という尊敬のニュアンスが込められているのは興味深い。琉球語では、語尾に「er」をつけて伸ばすと「専門家」としての敬愛が込められている例が多い。
 例えば、「ハルサー」とか「海アッチャー(海に行く人)」とか「アシバー(遊び人)」とか、枚挙にいとまがない。その点、英語の「ティーチャー」とか「ドクター」とか「プレイヤー」とニュアンスが似ているから不思議である。

ちなみに筆者の父母は典型的な「ハルサー」であった。沖縄の基幹産業は製糖業とも言われているように、父母もサトウキビを作っていた。しかし、ハルの面積が小さいために自給自足を目指さざるをえず、ハルには主食のイモをはじめ、大豆や大根、キャベツなども植えていた。
 また、豚や山羊を飼い、売買して現金を得ると同時に、貴重なタンパク源にしていた。一方、「海アッチャー」をやって魚や貝や海草などを採り、家計の足しにしていた。したがって、農業のみでは生活は成り立たなかった。そう言えば、琉球王国時代は、一般人民を「タミ、ヒャクショー(民、百姓)」と呼んでいた。ヒャクショーは時にはハルサーであり、ウミアッチャーであった。

写真:垂見健吾

しかし、ウミアッチャーでもいとまんだかじまなどの専業の漁民は「ウミンチュ(海人)」と呼ばれている。海人は文字通り1週間や1ヶ月ぐらいは平気で海の上で生活した。したがって奄美群島では漁民のことを「イチマナー(糸満人)」「クダカー(久高人)」と呼んだりもする。糸満や久高の海人は鰹や飛び魚、グルクンなどを追って奄美、九州からフィリピン、マレーシアまで大航海をしていたのである。

海人に比べて海アッチャーは沿岸漁業を中心にしている。ボクシングの世界チャンピオンだった具志堅用高がアナウンサーに「お父さんの職業は何ですか?」と訊かれて「海を歩いています」と答えた話は有名なエピソードだが、彼のお父さんは海アッチャーだったわけである。琉球弧の人々は干潮ともなると干潟へ繰り出し、誰でも海をのである。