ボクシング
那覇市首里に「ウインナージム」というボクシングジムがある。具志堅用高を筆頭に、具志堅の一番弟子である名護明彦まで、多くの傑出したボクサーを育てた金城真吉さんのジムである。しかし、綴りを見ると「WINNER」。だから発音上は「ウィナージム」でなければならないはずだ。しかし、このジムは沖縄のボクシングの性格上、どうしても「ウインナー」と呼ばなければならないのである。
全国のプロのトレーナーたちは、沖縄から強いボクサーが続出することを不思議がり、後で高校時代の練習を聞いて納得するという。細かい技術的なものは別として、精神的には、まさにプロの練習なのだという。
沖縄のボクシングの歴史は、ユーフルヤー(風呂屋)から始まったと言っても過言ではない。沖縄初の世界チャンピオンとなった具志堅用高が育ったのは、のちに世界を制する上原康恒の兄、上原松栄さんの経営する風呂屋。具志堅はここで、アルバイト兼選手として「とにかく倒せ」というプロのボクシングを、ウチナー口でたたき込まれた。
「強いパンチを打て!」「バランスが良くない」といったジャブ程度の標準語では伝えきれない戦いのニュアンス。松栄さんは「タックルシェー(直訳:たたきつぶせ)」「シナシェー(同:殺してしまえ)」などと、何ともストレートな、聞きようによっては逃げ出したくなるようなウチナー口で指導したのである。こうした地場の強さのようなものが沖縄のボクシングには息づいている。
沖縄からプロで世界タイトルを獲った男は具志堅、上原康恒、渡嘉敷勝男、友利正、浜田剛、平仲明信の6人。組織内部のごたごたでやむなくIBFという別組織で世界のベルトを巻いた新垣諭を含めると実に7人に上る。
プロだけではない、平仲、新垣も出場した昭和56年のインターハイでは実に6階級で優勝という凄まじい記録を作っているのだ。
沖縄ボクシングの強さを、ボクシング記者や評論家など、様々な人が様々な言葉で表現してきた。曰く「下半身の強さ」また曰く「リズム感、バランスの良さ」さらには「集中力のすばらしさ」。
しかし、その根本は「タックルシェー」に代表される、非常にわかりやすく且つ泥臭いファイティングスピリットにあるのではないかと思う。
金城真吉さんや川上栄秀さん(沖水ボクシング部)など高校生を鍛えてきた方々にもこの「タックルシェー」が生きているからこそ、眠っていた才能を開花させることが出来たのだと感じるのだ。
だから、「WINNER」は「ウィナー」ジムではない。「ン」と一呼吸入るぐらいの力が要るのである。誰が何と言っても、あれは「ウインナー」ジムなのである。