アマミキョ
沖縄創世の神である。琉球王朝の歌謡集『おもろさうし』(3回にわたって編纂されているが、その最初は1531年)の巻二に、「てだこの大主(テダは太陽、コは子で、太陽神)」が「あまみきょ・しねりきょ」に命じて島を造り、人を造ったことがうたわれている。そして、沖縄最古の歴史書『中山世鑑』(1650)には、アマミクの事績として沖縄の創世が詳しく語られている。アマミクのクはコと通じる。コは子のコであり、人を意味する。アマミキョのキョはこのコと同じ。したがって、アマミキョはアマミの人の意である。
どのくらい関係があるか不明だが、アマミといえば奄美が思い浮かぶ。アマミの文献初出例は、『日本書紀』斉明天皇3年(657)の、トカラの国の男2人、女4人が「海見島」に漂着し、筑紫に来たという記事である。このトカラは鹿児島のトカラ諸島という説もあるが、現在のタイ国のメコン川流域にあった王国という説が有力で、そうすると、古代日本人はすでに7世紀に外国人と出会っていたことになり、興味深い。その外国人が漂着する場所としてのアマミということになる。南西諸島、特に、八重山には南に理想世界があるという観念があるが、このような観念が古代日本にもあったとすると、アマミはその入り口としての像をもっていたわけだ。といって、奄美が大和の側からつけられた名だといっているわけではない。とにかく、沖縄は古来、外国との交流をもっていた、海洋民の土地だった。
アマミは甘いのアマに関係することばと思われる。甘いは味覚のことばかりでなく、すばらしいという内容だから、アマミも最高にすばらしい世界の意だろう。このアマは、天のことをアマというのに通じている。天は神々の世界である。アマミキョも天から下って、沖縄を造った。始源の世界をアマンユー(ユーは世、つまり世界の意)という。このアマンユーという言葉は今でも生きている。