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ヤシガニ

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初めてヤシガニを見たのは宮古島でだったが、「なんとグロテスク!」というのが第一印象だった。今夜汁料理にするから食べに来いと誘われたが、僕は遠慮した。
 実際に食味したのはそれから10年後、八重山に行ってからである。その丼汁のうまかったこと、生年月日を忘れるくらいであった。味といい、香りといい、エビもカニもじゃないと思った。落語の殿様が目黒まで早駆けをし、そこでたまたま口にした庶民のサンマの美味なるを知り、以来明けても暮れても目黒のサンマ、目黒のサンマとうわごとをいう。まさかあれほどにはならないが、あの殿様の気持ちはよくわかった。宮古島でみすみす逸した10年前のチャンスを思いだしてくやしがったくらいである。

あんな、ヤドカリのお化けみたいなものが、と姿と味のアンバランスが解せなかった。ヤシガニというからには、きっとヤシの実を食べるのだろうが、沖縄ではもっぱらアダンの実を餌にしている様子。太い強力(ごうりき)のハサミでアダンの実を割り、中の身を上手にちぎって口に運ぶ。石垣島北部で「畑のイモや果物も食べている」と聞いたが、僕が与那国島、石垣市伊原間で見た捕獲現場は、いずれもアダンの木によじ登っているところだった。
 一度、アンガマの面造り師に同行して、「裏石垣」は安良(やすら)海岸のハスノハギリ林を歩いたことがある。ハスノハギリは、アンガマ面の好材料。この木の実を、ヤシガニが食べる。「ハスノハギリの実を食べるマッコン(ヤシガニの方言名)は気をつけないといけない。中毒を起こす」と面造り師は教えた。

ヤシガニは、オカヤドカリ科のヤドカリ。ヤドカリといっても、巻貝の殻を借りるのは変態後いっときのこと。あと宿貝を脱ぎ捨て、ムキ身のまま活動する。当然イノシシや野犬の好餌となる。甲が固くなり、外敵に対して鎧(よろい)の役割を果たす。最強の武器は、強力無比の大バサミである。エンピツなどいとも簡単にちょん切ってしまう。
 「だれか自分の指で試してみないか」と捕獲者にいわれたが、まさかねぇ。

ヤシガニの肉は珍味中の珍味だから、一攫千金を当てこんでひそかに養殖をしている山師もいたが、成功したという話は聞かない。
 ロタ島など南太平洋のレストランでヤシガニを注文したら、目の玉が飛びでるような料金を請求された、という話もある。日本人観光客ということでボラれたのだろうが、ことほどさように、ヤシガニは美味である、ということだ。
 煮ても焼いてもうまいヤシガニこそ、珍味の王、といえばほめ殺しになるのかな。しかしそれも今は昔。ヤシガニの生息数は年々減少傾向にあり、沖縄版レッドデータブックでは希少種になっている。1

【編集部注】

  1. 沖縄版レッドデータブック(2017)では絶滅危惧Ⅱ類(VU)に認定。