米軍基地
「唐ぬ世から大和ぬ世、大和ぬ世からアメリカ世……」沖縄が本土に復帰する前、「時代の流れ」という琉球民謡が流行したことがある。嘉手苅林昌の枯れた声がなんともいえない味のある曲だ。
沖縄は中国(唐)とも関係があり、日本本土(大和)ともつながり、そして、戦後27年間は米軍統治(アメリカ世)が続いた。
そのアメリカ世をいまに残すのが巨大な米軍基地の数々。あまりにも基地が多いために、ひところ「沖縄の中に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」とまでいわれたが、当たり前すぎるせいか、いまはあまりいわれなくなった。といっても、米軍基地がドーンと居座っているという姿はいまも変わらない。
沖縄の基地について最近よくいわれるのが「日本全体のわずか0.6%しかない小さな沖縄県に、日本にある米軍専用施設の75%が集中している。それほど基地が多い」という言い方。たしかに米軍基地が多い、多すぎる。なにしろ沖縄県全体の10%、県都・那覇がある沖縄本島だけに限ると、なんと18%が米軍基地なのだ。
沖縄では基地は日常的な光景で、子供でもすぐ分かるが、他の県ではそうでもないらしい。基地返還を訴えるため沖縄の女性たちが東京の銀座をデモした時のこと。通行人から「墓地いらないって、なんのこと」という声が聞こえたという。プラカードの「基地」を「墓地」と読み間違えたのだ。「そこまでとは」とガッカリする声も周辺であったが、これも「温度差」なのだろう。それにしても差がありすぎると思う。
飛行機で那覇空港に着いて、那覇の市街に入る時。左手が米軍那覇軍港、右手が自衛隊基地。那覇から国道58号(かつては軍用道路1号線と呼んだ)を北上すると牧港補給基地、普天間飛行場、キャンプ瑞慶覧、キャンプ桑江、嘉手納飛行場、嘉手納弾薬庫……と、基地が延々と続く。基地の間を縫うようにして道路が走る。
10%、18%という数字もすごいが、もっとすごい数字がある。市町村において基地が占める割合。嘉手納飛行場、弾薬庫がある嘉手納町は実に町面積の82.5%が米軍基地。北部の金武町59.3%、北谷町52.9%、宜野座村50.7%。(2008年調べ)
1995年秋以来、政治的に沖縄が燃え上がった。火元は「基地」だった。米海兵隊員3人が少女を乱暴するという極めて凶悪な事件が発生。沖縄県民は反基地で立ち上がり、日米安保体制を根幹から揺るがしかねない一大事態に発展した。火はいまも燃え続けている。「基地の中に沖縄がある」とまでいわれるだけに、活火山・沖縄はいつでも大爆発を起こすマグマを抱えている。
嘉手納飛行場のフェンスのすぐ外側(住民側)に「安保が見える丘」というのがあって、そこに立てば嘉手納飛行場が丸見え。ネーミングが実にウチナー的。沖縄の米軍基地を実感したい人にはおすすめの場所だ。