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うちあたい

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僕はこの言葉を高校生になった時に初めて聞いたのだが、その意味合いの見事さに感心して、なにかというとこの言葉を使うようになった。
 そして大学に入ってヤマトから来た先輩がこの言葉を見事に日本語訳しているのに再び感銘を受け、それ以後の人生の座右の銘となった。
 そして現在のように沖縄の片隅でシマーに関するコラムを書くようになると、コラムをまとめた初めての本のタイトルとして当然のように使った。ちなみにその本のタイトルは「うちあたいの日々」というのだが、その出版祝賀パーティーなるもので、友人のミュージシャンのローリー(コザ出身のロックミュージシャン。父親は普久原恒勇ふくはらつねを1だ)は、「うちあたいの日々」というロッカバラードを作って披露してくれた。ちょっと浮気な男の心情を歌ったもので、僕本人とはあまり関係ないのだが、でもとてもいい歌です。今でも彼はライブで時々歌っている。

とまぁ、このように「うちあたい」という言葉、僕自身の人生に切っても切れないものとなっている。さてその意味であるが、共通語変換では「内心打撲傷」となる。例えば自分のこととは関係ない話をしている時に、その内容がなぜか自分自身に深く当てはまってしまい、思わず後悔やら反省やらしてしまう心理状態、それが「うちあたい」。内心忸怩たるものがある、というところである。自分の内側に軽い衝撃が走るわけだが、それは直接的に言われたわけではなく、あくまでも間接的なのである。内心が打撲したことは、誰も知らない。自己申告しない限りは。で、僕はしてしまうわけですね、「うちあたいっすっさー」と。
 まったく、生きていると、日々うちあたいすることばっかりである。高校の時には、こんなに打撲するとは思わなかったです。

【編集部注】

  1. 普久原恒勇(1932~2022) 作曲家、音楽プロデューサー。「芭蕉布」は普久原メロディーの傑作の一つ。