高等弁務官
通常、植民地や信託統治領で、本国政府に代わって統治の責任者となる者を高等弁務官(High Commissioner)という。戦後沖縄は、米軍政府(後に米民政府に改称)の統治下に置かれていたが、1957(昭和32)年に、アイゼンハワー米大統領が「琉球列島の管理に関する行政命令」を公布し、それまでの米民政長官と米民政副長官に代えて、新たに軍事高等弁務官制を設けた。同大統領は、前年の予算教書で、「沖縄の無期限確保」を言明していたが、折しも沖縄では、米軍による強制的な土地収用問題をめぐって、「島ぐるみの土地闘争」が展開され、公然と米軍政を批判する声が高まっていた。それだけに米国政府は、事実上の統治責任者であった極東軍司令官(民政長官)と在沖米軍総指揮官(民政副長官)よりも強大な権限を持つ高等弁務官を配置したのである。(米太平洋地域の指揮系統の転換も一要因。同年7月1日から米極東軍司令部が廃止され、ホノルルの太平洋軍司令部に統合された結果、それまでの琉球民政長官制も廃止された)。
民政副長官も高等弁務官も現役の軍人から任命されたが、前者の場合、階級も下位で東京の極東軍司令官に対し責任を負っていたのに較べ、後者はじかに国防長官に責任を負うようになった。また高等弁務官が、琉球政府立法院によって制定された法案を拒否したり、行政主席をはじめとする公務員を罷免し、琉球列島のすべての権限を自ら行使できるほどオールマイティだったのに比し、民政副長官の権限は、それほど強大ではなかった。
こうして国防長官が国務長官に諮り、大統領の承認を得て指名された高等弁務官は、初代のムーア中将から6代のランパート中将(1969年就任)に至る14年間も続いたあと、沖縄の日本復帰(1972)の実現を契機に任を解かれた。