リュウキュウアユ
かつて、沖縄の川には日本のアユと違うアユがいた。「かつて」と前置きしなければならないところが悲しい。1970年代までは確認されているが80年ごろから開発で姿を見かけなくなった。現在は奄美大島の川にだけ本来のリュウキュウアユが存在する。だが、こちらも「かつて」の装いはない。生息数が激減し、絶滅を食い止めるための対策に追われている。
リュウキュウアユ。日本本土のアユとどこがどう違うのか。まず、体形。全体的にずんぐりしている。胸びれの数、ウロコの大きさと数も違う。遡上する時の大きさは3~4センチで本土産の約半分。次に性格。遺伝子は20%余り異なり、縄張りについても結構ルーズ。産卵期は一カ月遅れの11月中旬から2月下旬。海での生活も短い。どうやら100万年以上にわたって独自の進化をたどってきたらしい。
1984年、学者、研究者が本土産アユとの違いを強調。88年12月、亜種として正式に認められ、一気に保護論議が高まった。その後の研究で、遺伝子は同じ奄美大島でも太平洋側に流れ込む住用村の川のアユと東シナ海に注ぐ宇検村の川のアユでは違うことが分かった。これは自分たちの縄張りの中で長い間暮らし、独自に進化してきたことを示す。
同じ島内でも違うわけだから、当然沖縄と奄美のアユの遺伝子も違ったことだろうと専門家は見る。沖縄と奄美が同じ亜熱帯の気候に属しながら文化的に違うようなものだ。リュウキュウアユとひとくくりするよりも奄美大島産は「アマミアユ」と表現した方が遺伝子的には適切かもしれない。
亜種で絶滅が心配されるとなると、マスコミが騒ぎ、世論も注目する。お決まりのコースだ。当然のことながら「アユか人間の生活か」と議論が起きた。90年には奄美大島の名瀬市で、91年には沖縄の名護市でそれぞれリュウキュウアユフォーラムが開かれ、保護対策や共生の道が探られた。
奄美のアユを沖縄に運んで放流しようという行政の試みもあった。91年には和歌山県内水面漁業センターが人工受精とふ化に成功。93年には奄美大島の川から卵を採取、鹿児島県栽培漁業センターでふ化させた。今、沖縄で生息しているのはこれらのアユだ。
かつて(3度目の「かつて」である)、奄美大島ではアユの干物を正月の吸い物に入れた。師走に入ると干物を本土で暮らす子供たちに送るのが習慣だった。アユが激減した今は、アユの干物に代わって禁漁を知らせる看板が立つ。期間は11月1日から5月31日の7カ月間。鹿児島県は魚道を設置したり、河川工事に配慮したりと神経を使っている。住民は腫れ物にでも触るようにへっぴり腰でアユを見詰める。策を講じれば講じるほどアユは人間から遠ざかっていく。必要な分、いつでも捕って食べられる存在だった「かつてのアユ」はもういない。1
【編集部注】
- 鹿児島県は、本亜種を絶滅危惧Ⅰ類に指定、2004年には鹿児島県希少野生動植物の保護に関する条例を施行し、本亜種を全面禁漁とした。