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ニライカナイ

執筆者:

写真:垂見健吾

われわれの住むこの世界とは別の、もう一つの神々の国、あるいは異境。ティダおなり神と並んで、沖縄や奄美大島など南西諸島の信仰の最も基本的な概念である。ニーラとかニライスクなどと呼ばれることもある。海の向こうにあるとされたり、地底にあると言われたりする。日本の古代文学に現れる常世の国や根の国とは深い関わりがあるし、『古事記』の山幸彦が行った綿津見わたつみの神の宮や浦島太郎が行った竜宮もニライカナイの1つの形と考えられる。
 この世界の外に異境があるという発想はどこから来るのだろう。なぜわれわれは世界は一つにして全てであると思えないのだろう。現世に対していろいろと不満や不幸を感じる結果、それのない世界を想定する。人の方がそこへ行くとなると異境は理想の地となる。桃源郷であったり、蓬莱の山であったり、天国や極楽だったりする(死んでから行くか生きたまま行くかの違いはあるが)。

しかし、人が行くのではなく異境から神が来て現世の人々を救うという考えかたもあって、ニライカナイはもっぱらこちらの方なのだ。この種の神は来訪神と呼ばれる。神々は年に1度そこからこの世界へやってきて、人々に福を授け、また帰ってゆく。これが南西諸島の宗教の基本型である。来訪神は具体的には、宮古のパーントであり、同じく八重山のアカマター・クロマターであり、波照間はてるまのフサマラーであり、またミルクであったり、マユンガナシと呼ばれたりする。
 このような神々を迎える祭りには2つの型があって、第1の型では、村の誰かが神に扮して登場し、人々はこの神を迎える(もちろん、信仰の次元では、その人は神に扮しているのではなく、神そのものなのだが)。例えば波照間の雨乞いの儀式に登場するフサマラーは雨の神であって、瓢箪で作った仮面をつけた姿でフサマラー山と呼ばれる小さな山から出現する。そして村の井戸を巡って潤沢な水量を保証し、また異境に帰ってゆく。八重山のミルクならばミルク世果報ゆがふという祝福によって現世の方を理想の地に変える。
 もう一つの型では、神の姿は見えない。人はただその来訪を信じて、神迎え・神送りを行う。神女たちが浜に並んで行うユークイ(世乞い)の儀式や、沖縄本島北部の海神祭(ウンジャミ)、ハーリーなどは、この神迎えであり、綱引きが行われる土地もある。この型の中で最も有名なものとして、神女たちの資格授与式として6日の間延々と続けられる久高くだかイザイホーがある。

ニライカナイには害虫や鼠などをこの世から送り出して閉じ込めておく場という側面もある。鼠はティダの生まれそこないの子孫であり、したがってもともとはニライカナイに属する。こちらの世界に来て悪さをするのなら、もとのニライカナイヘ帰りなさいというマジナイの歌(オタカベ)が久米島にある。

蓬莱山のような人間も行ける理想の地としての異境の話では、パイパティローマ(南波照間)伝説がいい。波照間は住民が住む島としては日本最南端にあたる。その名も「果て」に由来するという説があるくらいだ。しかし、この島の南に実はもう一つ理想の島があるという話がずいぶん広く信じられてきた。税金が重いのに嫌になった波照間の人々が集団で逃げ出して、南の果ての島へ渡り、そこで楽しく暮らしたというのだ。
 実際に、1648年に少なくとも40人以上の人間が波照間を脱走して帰ってこなかったというずいぶん具体的な記述が『八重山島年来記』という本にある。彼らは税を運びにきた公用船を奪い、税としてそこに積んであった米などをそのまま持って行ってしまった。波照間からまっすぐに南下しても島はないが、西に向かえば台湾があるし、南西に進めばバシー海峡には小さな島は多い。あるいはルソンまで行ってしまったとも考えられる。しかし、そういう具体的な地名と結びつけずに、ただ波照間の南に理想の島があったと信じた方が話としては美しいのだが。