ミバエ
沖縄で「ミバエって知ってますか?」と聞くと、ある程度年配の人なら、「ああ、ウリミバエですか。ゴーヤー(ニガウリ)に入るウジでしょう。以前はあれがゴーヤーについて黄色く腐って食べられなくなり、本当に困ったものですよ」とか、「子供の頃はものがなくて、庭のバンシルー(グワバ)の実がお八つがわりでしたが、よくウジがはいっていてね。たしかミカンコミバエとかいう名前でしたよ」という返事がかえってくる。もう少しものを知っている人なら、「ミバエは県の事業で確か根絶されたそうですね。このごろはまったくみかけなくなって、大助かりです」という話しも聞くことができる。
ミバエを漢字でかくと、「実蝿」。黄色い小型のハエで、その名のとおり果実に卵をうんで幼虫(ウジ)が果肉を食害する害虫。ウリミバエはニガウリをはじめ、スイカ、カボチャ、メロンなどウリ類につき、ミカンコミバエはミカン類が好物だ。このごろ沖縄の特産品になったマンゴーには両方のミバエとも害をする。これらのミバエはもともとは沖縄にいなかったのだが、1919年(大正8年)に八重山群島で発見されてから北上が続き鹿児島県の奄美群島まで侵入した。ミバエはその直接の害もさることながら、このハエがいるおかげで、沖縄県や奄美群島からウリ類やミカン類を自由に本土に出荷できなかったのである。もし、このハエの卵や幼虫が入ったウリやミカンが運ばれると、本土にこのハエが広がるおそれがあるという「植物防疫法」の規制によるものだ。
このハエを1匹残らず追い出してしまおうとする「根絶事業」が沖縄ではじまったのは、日本復帰の年、1972年(昭和47年)である。日本に復帰しても、ウリ類やミカンを自由に本土に出荷できないのでは「何で、復帰したかわからん」という農家の声に答えた特別事業であった。ミカンコミバエは、雄を強力に引きつけるメチルオイゲノールという香料に殺虫剤をまぜ、木材繊維の小片にしみこませて、沖縄県中にばらまいた。いまでも街路樹の枝に針金でぶらさげてある茶色の木片に気がついた人もいるかもしれない。雄がこれに集まって皆死ぬと、雌は交尾相手を失い、子孫が絶えてしまう。ウリミバエにはもっと巧妙な方法を使う。ハエを1週間に最大2億匹も人工的に増やし、放射線をあてて不妊にしてからばらまく。するとこの不妊バエと交尾した野生のハエは子孫を残せなくなり、やはり絶えてしまう。この不妊バエの生産工場はいまも那覇市真地の沖縄県ミバエ対策事業所内にある。長い年月がかかったが、ミカンコミバエは1986年(昭和61年)、ウリミバエは1993年(平成5年)にそれぞれ目出たく根絶された。
沖縄から、夏はマンゴー、冬はタンカンを自由に本土の親戚や友人に送ることが出来るのも、この根絶事業のおかげであることをどうか覚えていてほしいものだ。
また、ミバエは今後も再び侵入する可能性があり、1998年末にも久米島にミカンコミバエが発見され必死の防除努力によって再根絶された。侵入経路は不明だが、海外からミバエのつく果物などを沖縄にもちこまないように協力していただきたい。