コザ
戦後誕生したコザ市が、周辺の美里村と合併して沖縄市となったのは1974年のこと。以来地図上には「コザ」という地名はないが(コザ高校のように学校名などには残る)、今も普段の会話の中で使われるのは、「沖縄市」より「コザ」である。
本島中部の町コザは、極東最大の米空軍基地「嘉手納基地」の門前町として発達した。
コザっ子たちに聞くとかならず出てくるのが、ベトナム戦争時代の話。いわく、あのころは米兵が荒れていた。戦地に赴く前の彼らは激しく遊んだから、バーやライブハウスはすごく儲かった。大きなバケツからドルがはみ出すほどだった。そんなライブハウスから実力派のロッカーは生まれたし、米兵たちの起こした事件は今よりもっと多かった。コザは、長い間、よくも悪くも米軍の影響をモロに受けてきた町なのだ……。
さらに、コザっ子は自慢気に言う。那覇は東京のことばっかり見てるでしょ、リトル東京になろうとしてるみたい。だけどコザは違うよ。コザはコザ。いろんなものがあって、いろんな人がいて、すごく面白い町なんだよ。芸人もいっぱいいるんだから(コザは芸能の町でもある。喜納昌吉とチャンプルーズも、りんけんバンドも、ディアマンテスも、ネーネーズもコザをベースに活動している)。
那覇の人が那覇は、那覇は、と言うのをあまり聞いたことがないが、コザの人はコザにこだわるのだ。
では、旅人としてこの町を訪れる人にコザっ子から伝授されたおすすめ定番コースを紹介しよう。まず、ホテルは那覇じゃなくてコザにとる。那覇からも車で30分程度の距離だが、夜中まで遊ぶんだからコザに泊まってください。昼はゲート通り(空港通り)やパークアベニュー1でアメリカ人相手のお土産屋や刺繡屋をのぞいてお買い物。タコスを食べて、夜はライブハウスやクラブで遊び、さらにその後、民謡酒場で地元の人たちと一緒に盛り上がる。那覇とは一味違うディープな夜をお楽しみください。
【編集部注】
- 中央パークアベニュー(正式名称)は、戦後、BC(BusinessCenter)ストリートの名前で賑わった通りで、復帰後の1982年に歩道とアーケードのあるショッピングモールとして整備された。近年、美浜アメリカンビレッジやイオンモール沖縄ライカムなど郊外型ショッピング施設の誕生で、客足が遠のき、苦戦している。