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琉球漆器

執筆者:

写真:垂見健吾

漆器のことを沖縄ではヌイムン(塗物)と呼ぶ。

現在その3大ヌイムンと言えるのが、トートーメー(位牌)とジュウバク(重箱)、そしてビンシーであろう。いずれも祭祀具としての工芸である。

ところで、漆器は日本をはじめ中国や韓国、東南アジアの大陸部に限定されて育つ漆の木の樹液を利用したアジア独特の工芸である。数千年もの間この漆の樹液は塗料や接着剤、防水や防虫効果を高める素材として人々の暮らしとともに歩んできた。しかし、現在では漆の偉大な働きも忘れ去られ、高級で古いイメージの工芸として、我々の生活から遠くなりつつある。沖縄でも例外ではない。

ところが、かつての琉球王国は大変な「漆器王国」であった。『明実録』には、およそ600年も前に明国の使者が琉球に漆を買いにきた記録があり、歴史の深さがうかがえる。

琉球王国製作の漆器のほとんどが、中国皇帝への贈り物や交易品、日本の将軍家や諸大名家への献上品や進上品としての国外用であった。そのため、つい最近まで唐物(中国産)としてあつかわれたのも少なくない。その多くが琉球内に留まれなかった運命をもつ工芸で、紅型びんがた壺屋焼つぼややきといった琉球国内のみで使われた工芸と性格を異にするところであろう。

琉球王国では貝摺奉行所を設置し、その管理下で王国の権威や経済基盤を支える漆器類として、華麗で高度な技術を駆使した卓や文箱、硯箱、食篭、盤などを制作した。国内用としては、王座や東道盆トゥンダーブン籠飯クファンなど王族クラスの中国風の品々が作られた。

種々の技法が発達し、漆面に刀で文様を彫り金箔を埋め込む沈金ちんきん、夜光貝やアワビ貝を薄くし文様に切り取り貼る螺鈿らでん、漆で文様を描きその上に金箔を貼る箔絵はくえ、色漆で文様を描く漆絵うるしえなどの技法がある。現在もっともポピュラーな技法は、中国からの影響が大きくみられる堆錦ついきんである。漆に顔料を混ぜ粘土状にして薄く伸ばし、文様の型で切りとり貼りつける。立体感があり、量産がきく技法として現代の漆器業界トップの技法となった。

ところで、琉球漆器でよく誤解されることに、朱塗りの鮮やかさを豚の血を使うためだと思われていることがある。しかし、実は豚の血液に含まれる膠質を利用し、下地に使用するわけで、表面の色とは全く関係ない。この豚血下地の漆器は明治以降の琉球漆器に多く見られたが、現在は行われていない。

王国時代の漆器は漆芸専門館の浦添市美術館(浦添市)や漆の建造物の首里しゅり城(那覇市)、沖縄県立博物館(那覇市)などで見ることができる。